先日、インドで1億5千万人の仏教徒を導く、81歳の日本人僧・佐々井秀嶺さんの記事を読みました。インドの地で不可触民と呼ばれるカースト外の最下層の人々のために半世紀以上も闘ってきた僧の壮絶な人生についてのものでした。

その中で、44年ぶりに日本に帰還なさった僧が残された言葉がとても印象的でした。
「人の匂いがしない。」

4年前、次女を出産した頃。助産院の先生の命に従って、私は産後28日床上げをするまで、出来るだけ横になり、必要以上に活動しない生活を徹底していました。昔からよく言われるように、なるべく水仕事を避けて、細かい文字を読まず、目を休めるように。ベッドの上で、ひたすらに眠る赤ん坊と一緒に過ごしました。ほとんど外の世界に交わることなく、2ヶ月ほどが経ちました。

ちょうどその2ヶ月ほどたったある日。外出する機会がありました。2ヶ月以上ぶりに、電車に乗って外の世界に出ました。とっても怖かったのを覚えています。電車の中にいる人たちに表情がないことにとても驚いたのです。今日、何か大きな事件でも起きたのかと本当に本当に不安になるほどでした。そこにいる全員が疲れきった表情で、目を伏せている光景は異様でした。

私が過ごした2ヶ月は、生きる希望しか感じられない世界だったのに。

先日、用事があって小学校にいたときの話です。女の先生が、3人の児童を前に、鋭い声と表情で指導されていました。でも最後にニコッと笑って子どもたちを教室に戻しました。問題を解決させる手順も物凄く鮮やかなものだったのですが、最後に笑ったその顔は、本当に本当に素敵で眩しいものでした。

私はとっても女性の笑顔が好きです。

私の母は、私が小さな頃、心の病を発症しました。私の記憶にある母は、いつも怖い顔で俯いているか、悲しそうに玄関から出て行く姿です。私には恐怖でした。自分が置いていかれることよりも、母が苦しそうなことが、不幸そうなことが怖くてたまりませんでした。

子どもは、母を媒体として世界を知ります。社会常識の良い悪いではなく、母親が喜ぶこと、悲しむことが最初の判断基準です。だから、お母さんが辛そうなことは、子どもにとってこの世の終わりです。お母さんの笑顔は、自分自身の存在意義だし、この世を信じるために一番説得力のあるものなのです。

私自身、女性に生まれたからには、母親になったからには、無理してでも笑っていなくちゃと頑張った時期もありました。取り繕った、誰かに媚びるような笑顔・・・長くは続きませんよね。頑張った笑顔なんて、ぼろが出ます。相手にも笑顔でいることを要求している自分に気がついたりしました。

でもそこで、ヨーガに出会って手に入れたスキルがあります。

サティア(正直)

「サティアに徹した者には、行為とその結果がつき従う。」

まずは、自分が笑おう。自分が笑顔になれることを真っ先に探そう。誰にも遠慮しないで、自分自身を笑わせよう。自分が好きなこと、嫌なこと、それを知ってあげて、嫌なことを自分に強要するのをやめてみよう。

いやいや、そうは言っても社会生活、自分の好きだけじゃ生きていけないよ・・・って初めはそう思っていました。私の我慢が沢山の事柄を潤滑にしていると考えていました。でも、そのために自分がぼろぼろになっていくことを自分自身が望んでいないのなら、やめてみてもいいのではないか・・・というところから修行は始まりました。

それは、歩みを弛めないと出来ない修行かもしれません。日常生活、社会生活を送る中で、引っかかりや突っかかりがある度に、自分自身に「何故?」と問いかけなきゃいけないからです。無視して進むとずーっと付いて回ります。

自分自身に「正直に教えて。」と聞いてあげる癖をつけました。原因がわかれば、それを手放すことも出来るし、伝えることも出来て、そしてそのどちらの手段も、自分で選択していいことに気づきます。

子どもの我がまま、どうして許せないの?なぜ怒っちゃうの?

正直に自分の中を探していくと、怒らなくて済むこともあるけれど、自信を持って怒ることも出来ます。そしてちゃんと、笑顔にたどり着きます。

何かの、誰かのせいにしてごまかさないで、自分自身に正直になること。苦しいし恥ずかしいし、とても大変な作業だけれど、絶対笑顔が生まれる作業だと思います。

そして、その笑顔は、きっと誰かを幸せにします。

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文 ヨガインストラクター ミヅホ/編集 七戸 綾子