先日、電車に乗っていましたら、途中の駅のホームから小さな子どもの大きな泣き声がしました。その泣き声は、ガタンバシャンっという大きな物音と共に同じ車両に乗ってきました。

小さな子どものお母さんは、ベビーカーを荒々しく車内に固定すると、抱えていた子どもに、
「うるさいうるさいうるさいよ!!うるさいってば、もう・・・」
人目もはばからず、そう言いながらベビーカーの陰にしゃがみこみ、おっぱいをあげ始めました。

ここまでのお話を聞くと、皆さんはどう思われるでしょうか。
そのお母さんは、隅っこで車中に背を向け子どもにおっぱいをあげながら、何度も何度も静かに涙を拭っていました。

そんな話をリカバリーヨガのクラスでしました。
産後のお母さんたちは、このお話を聞きながら、グッと目頭を熱くするんです。堪らず、涙を流される方もいます。私は、そんな時に、生きるって美しいな……と感じます。

心の中のどこかで、自分とそのお母さんとを重ね合わせるところがあるんだと思うのです。そして、背中で泣いていたあのお母さんに心震わせ共感し、優しさいっぱいで、子どもと自分と、そのお母さんを抱きしめている。その熱さは、前でしゃべっていると伝わってくるんです。なんだか安心に包まれるんです。

泣く子を黙らせる母の気迫、そして涙。
共感する心。
誰かの体現が自分自身であり得ること。
「自分じゃなくてよかった~」を超えた共感、優しさ。
優しさは、その人のためじゃない、きっと自分のため。

ヨガの鍛錬の中で、「タパス」という言葉に出会います。
「タパス」=日本語では、「苦行」と訳されます。人生そのものだな……なんて思ったりしますが、「タパス」とは「焼くこと」あるいは、「熱を作り出すこと」という意味も持ち合わせます。焼くとどんなものでも純化される。私はそう習いました。純金を作る過程で、熱を持って不純物を焼き尽くしていく作業。タパスとはそういう作業だと。

それ以来、自分の内側に摩擦が生じるとき、例えば心に引っ掛かりがあって悩むときやムッとするときなど、自分の内側で上昇する心の怒りや熱によって何が焼かれようとしているんだろう……と少し立ち止まってみるようになりました。心の暴走を自制するのです。そうやって自分の心に気づいてあげると、自らの意思で必要のない感情を上手に手放してあげる事ができることがある。自分の中の何かがどこかが純化する。

……でも、もちろん上手に感情をコントロールしきれない事のほうが多いんです。電車の中で出会ったお母さんみたいに、声を荒げて感情むき出しにして怒ってしまったり。でも、そう。必ず涙が襲ってきます。涙はなぜだか、心を鎮めます。涙はなぜだか、何かを拭い去って流れていきます。これもひとつの、…純化とまでは言えないけれど、浄化だと思いませんか。

ヨガの目指すところのタパス=苦行とはもっと崇高で重厚なものかもしれません。でも、日常の中にある小さな出来事に心動かされ自制しながらも、目頭熱くしながら人を思い、自分を思って流す涙も、やはりタパス=純化に繋がっていてほしいなと心から思います。

失敗も成功もとっても尊い経験です。心が熱を持ったとき、命が熱を帯びたとき、目頭がカッと熱くなったとき、母として強くなるんだと思います。

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文 ヨガインストラクター ミヅホ/編集 七戸 綾子