- きれいになるための努力を重ねていくのが楽しいときもあれば、面倒なときも……。kyo先生はどうやってその気持ちを維持していますか?

努力とは負荷をかけることでしょう? ウェイトトレーニングと一緒で、力がつくともう少し負荷をかけてもいいと思えるようになる。そうすると初めの“努力”は“普通”になってきます。人間は馴れる動物だから。

私の場合、面倒だなと思うときに、それを乗り越える原動力になっているのは、仕事としての使命感です。毎日負荷がかかっているわけだから(笑)、ある意味でそれは自分のトレーニングなんです。この仕事のおかげですね。

- やはり恋をするぐらいの環境の変化が必要なのでしょうか?

「きれいになりたい」など本当に達成したい目標があるなら、それを見ていてくれる人をつくることですよね。恋をするぐらいの環境の変化とは、そういう意味です。異性、同性、家族や友だちでもいい。その人がほめてくれたり励ましてくれたりすることが原動力になると思う。芸能人も人に見られてきれいになっていくでしょう? 

この前テレビで「きれいになりたいなら、ステージに出てこい(笑)」というようなことを誰かがコメントしていたけれど、本当にそう。一人ではきれいになれない。

一人ではきれいになれない

どうして美しくなりたいのかというと、やっぱり誰かに認めてもらいたいという承認欲求からでしょう? 人間は「私はここにいる」という主張と、「よりよく生きたい」というふたつの想いから行動を起こすと言われているけれど、美しくなりたいというのも「私はここにいる」という主張のひとつ。その主張をファッションで表現する人もいれば、文章や歌で表現する人もいる。みんな自分を認めてほしいのです。

だから、たとえば別の部署の人に「あのプロジェクトうまくいったんだってね」とか、同僚に「あ、髪切った?」と声をかけてみる。「あなたに関心がありますよ」と知らせることで、仕事も人間関係も円滑になりますよね。会社に不満をぶつけるより、自分で居心地のいい環境をつくっていったらいいと思う。その環境づくりを上手にできる人が美しい人だと私は思います。

- なるほど。自分を知ること、相手を認めること、環境をつくること……すべてが人としての美しさにつながっているんですね。

そうですね。人は人の間で磨かれていくと思います。鏡に映る姿は実像とは違うから、自分ひとりでいくら鏡を見ても、それだけで自分を客観視するってなかなかできないことなんですよ。他人のほうが自分を客観的に見ているし、反面教師になる人もいる。

私も人との出会いで学ぶことがたくさんあるから、若い頃に戻りたいとは思わないですね。この先も何が起こるかわからないし、環境も変わっていく。それも楽しみにしていますよ。やはり、人それぞれ、そのときそのときの環境に応じた美しさがあると思うのです。

-きれいは一人にしてならず 1/2- その人それぞれのバランスがある を読む 

写真 七戸 綾子/取材・文 古金谷 あゆみ/「スタジオ・ヨギーのある生活」vol.12より