人がインスパイアされる瞬間に心動かされます

――為末さんはどんなことに接すると感動したり、心が揺さぶられたりしますか。
為末 人がインスパイアされる瞬間を目にすると感動しますね。いま、子どもたちに陸上を教える機会があるんですが、それまでできなかったことができるようになる姿はとても感動的です。発達障害のクラスで教えた時は、一度ハードルを飛んだらすごく興味を持ってくれた子がいて。その後ずっと飛び続けていたのは嬉しかったです。ほんの少しのきっかけで、人は何かに目覚めたりするものなんですよね。

――ヨガをされたことはありますか?
為末 サンディエゴに住んでいた時に何回かあります。あちらでは、「体をどう動かすか」というように、ヨガをスポーツとしてとらえていたんですが、個人的にはそれよりもヨガの哲学みたいなものが好きなんです。インド系アメリカ人が書いたヨガの本に、自分を客観視する、コントロールすることについて書いてあったのですが、まさに競技をする上で重要なことなので、おもしろいと思いましたね。アスリートって、走りながら自分で動きを修正するんですが、考えてみたら不思議なことで。実際に目で自分の動きを見ることはできないわけですから。走りながら自分の外、ずっと高いところに視点を置いて、動きを客観視しているのだと思います。

――哲学的なことには昔から興味があったのですか?
為末 子どものころからものを考えるのは好きで、不思議だと思うことが多かったし、不思議だと思う自分が不思議だな、とも思っていました。陸上って比較的自分と向き合うことが多い競技なので、それを長くやってきたことも関係しているかもしれませんね。

「自分の幸せ」は、ぼんやり求めるくらいでいい

――為末さんが「幸せ」を感じるのはどういう時ですか?
為末 うーん、コーヒーを飲んでいる時ですかね。あとは風が吹いてるなとか、花の匂いがするなとか、五感で何かを感じとっているような時に、幸せを感じていると思います。

――現役選手時代はどう考えていましたか?
為末 ハードルで世界一になることが幸せだと思っていました。でも、あるところでそれは難しそうだと気付いて。自分が大事にしてきたことがなくなるんだ……とショックを受けたんですが、よく考えてみたらハードルで世界一になるのはひとつの「手段」でしかなかった。その奥に、自分が本当に求めていた大きな幸せがあることに気づいたんですよ。

――それは何だったのですか?
為末 世の中の人をびっくりさせる、ということです。それが僕の考える大きな幸せだった。ハードルで世界一になる日本人が出てきたら、みんなびっくりするんじゃないかな、と思っていたんですよね。ならば、そこに辿りつくには、いろんな道があるはずだ……たくさんの選択肢が見えてきたんです。ハードルで世界一にならなきゃいけない、と思い込む自分から解放された。メダルをとったりすると、急に有名人になる体験をします。でも競技成績をそのまま守り続けるのは難しいことで、世の中の人の興味はいつか引いていく。だからそこに幸せを求めれば、必ずつらくなるんです。そういったいわゆる社会的な成功や幸せからは距離をとって、客観的に見て、「自分にとっての幸せとは何か」を考えていくことが大事なのでは、と思います。

――「自分にとっての」幸せを見つけるのは難しいことでもありますよね。
為末 すごく難しいと思います。つい自分探しの旅に出たくなるかもしれない(笑)。でも旅に出なくても、日常を続けながら考えることができると思うんですよ。いろんな人と話しながら、動きながら、自分にとっての幸せを考えていけばいい。それと「ビタッとくる幸せを必ず見つけてやるんだ!」と思いすぎないことも大事だと思う。見つけたいなあ、とぼんやり思っているくらいでいいんです。幸せだと思うことや大事だと思うことは、新しい刺激を受けて変わることもありますしね。とりあえず、これを大事にしようと決めてみればいい。期間限定でいいんですよ。
現代のような競争社会では、幸せになろうとして、ないものを埋めていこうとすることが多い。でも実は僕たちはもう幸せになれるだけのものを持っている気がするんです。次の幸せに向かってどんどん何かを手に入れようとしているうちに、人生のなかで「自分は幸せなんだ」と満たされる時間をなくしていっているんじゃないかと思う。自分が今、何を持っているのかを知ることも、必要なのではないでしょうか。

死ぬ瞬間まで何が失敗かはわからない

――先ほどハードルを辞めた時のお話がありましたが、失敗や挫折とどう向き合っていけばよいか、もう少し詳しくお話いただけますか。
為末  そもそも、本当の意味の「失敗」ってなんなのでしょうね。先ほどお話したハードルのこと以外にも、「もうおしまいだ!」と思うようなことはありました。でも次の朝起きたら、少なくとも僕は「生きる」ってことには失敗してないなって思えたんですよ。そのこと単独だと失敗に見えることも、続けていると「あの失敗が生きて成功した」ということが起きたりする。失敗ではなくて「成功の種」だったのだと、後からわかるんです。だから人生を長い目で見ていくと、結局失敗も成功もないんですよね。死ぬ瞬間まで、何が失敗かはわからないんです。
失敗が必要以上に怖かったり、ずっと記憶に残っていたりする方は、ひとつの失敗と自分自身をつなげて考えすぎるのかもしれませんね。それとこれとは別です。僕の場合はハードルでは失敗したかもしれないけれど、「為末」では失敗していない……っていう感じかな(笑)。
後編へ続く

撮影 Art of living 編集部 / 文 門倉 紫麻