誰しも、考え方にはクセがある

――そういう考え方を知っていると、失敗に対して違う態度で臨めるようになるかもしれません。
為末 僕は、人間の考え方や見方にはクセがあると思うんですよ。何に対峙してもアンラッキーだと考える人もいれば、反対に何が起きてもラッキーだと捉える人もいる。
それは、クセなんです。でも自分の考え方にはクセがあること自体に気付いていなければ、そのクセの色で世界が染まってしまって、世界はそういうものだと思ってしまう。だから少なくとも「誰にでも何かしらクセや偏りがあるのだ」と知っておきたい。そうすると「こうでしかない」と思っていることは、ずいぶん変わる。「私がそう思っているだけで、もしかしたら、違うかもしれない」という視点が生まれるんです。自分のクセに気づく前とあとでは、明らかに気づいたあとのほうが生きるのが楽なんですね。

――クセを知り、別の視点を持つにはどうしたらよいのでしょう。
為末 人に相談するといいと思います。自分のクセもわかるし、客観的な、別の視点ももらえる。例えば、自分では追い詰められた状況にいると思っていても、なんとかなると見ている人もいるのだ、ということを知ると、ずいぶん楽な気持ちになれますよね。
僕は、自分が非常に主観的に物事を判断するクセがあるのを知っています。物事を単純に捉えがちだし、善悪や白黒をはっきりさせたりしがちなんですよ。でも今は、物事はもっと複雑なんじゃなないか、奥に色々なものがあるんじゃないか……と別の視点を持てるようになりました。

人は、人の影響を受ける生き物です

――為末さんご自身も、客観的にものを見られないことがあったのですね。
為末 ありましたねえ。陸上部で競技をやっていた時に、「この練習方法が正しい」と思いこんでいたことがあったんですよ。憧れている選手の練習方法だったので、僕もこれをやれば速くなるだろうと思い込んでいた。成果が出ないまま3年くらい続けて、結局ちっとも速くはならなくて、スランプに陥ってしまいました。

――何がきっかけでその思い込みから抜け出せたのでしょう。
為末 あるとき、全然違う部――野球部の選手たちと話す機会があったんです。そうしたら、たくさんの人に「その練習には意味がない」って言われまして。始めは「そんなことはない! だって僕の周りにいる9割の人は賛成しているのだから」と、しばらくはその意見を受け入れられずにそのままの練習を続けていました。でもある時ふと、気づいたんです。9割の人が賛成していたんじゃなくて、賛成している人を9割、周りに集めたんじゃないか、と。「君には合わないんじゃない? 本当にいいの?」と言ってくれる人が周りからいなくなっていただけだった。周りの人のほとんどが僕と同じ考え方だったら、この頭の中と同じ世界が外にも広がっていると思ってしまう。でも実は、自分がいたのは特殊な世界で、そうじゃない世界のほうが広いんですよね。

――まさに、別の世界の人と話したことで、違う視点を持つことができたのですね。
為末 はい。スポーツの世界に限らず、会社でも、学校でも、誰もが必ずある方向に偏っている人が多い場所に身を置いてしまうもの。そして、人は、人の影響を受ける生き物です。僕は陸上界にいて、陸上選手の影響を受けて、頭が陸上選手の考え方に偏っている。自分は周りに影響なんて受けないとか、自分は偏っていないとか、そういうふうに思えば、どんどん客観的に物事を見られなくなってしまう。まずは、自分は人から影響を受ける存在であると認めて、いろんなものと上手に距離をもって、自分をマネジメントしないといけないのだと思います。

――私たちが日々の生活の中でできることはなんでしょう。
為末 もちろん転職するとか、立ち位置ごと違う世界に行くのもそれはそれでいいと思うんですが、現実的ではないですよね(笑)。意識的に、毎日どこかの時間で、違う見方をする人たちと会って話して、考えを共有することに使ってみるといいと思います。事実はいつも変わらない。でも物事の「見え方」は、変わっていくんです。

自分を「許す」時間が必要です

――「恐れ」についてはどう思いますか?
為末 大事なものがあると、人は恐れを抱くようになる。それを失いたくないからです。仕事も、パートナーも、何かを大事だと思えばそれだけ失うことが怖くなる。たぶん、その感情を完全に捨てることはできません。捨てなければと思えば思うほど、捨てきれない自分と対峙することになる。僕らにできることがあるとしたら、先ほどの話しと近いのですが、自分が何にこだわっているのか、何を怖がるのか、その傾向を知っておくことだと思う。そして、何かを恐れたり執着したりする、そんな自分も仕方ない、OKだ、と自分を受け入れられるといいですよね。一日のうち一回……何か月かのうち一回でもいいから、自分を許す瞬間というのが僕らには必要なんじゃないでしょうか。「あるがまま」の自分で生きていくことが、大事だと思っています。

撮影 Art of living 編集部 / 文 門倉 紫麻