原作を読んだ時、「これ、俺だな」と思った

――今回の映画『海街diary』は、鎌倉で暮らす四姉妹とその周囲の人々を描いた作品です。原作漫画の1巻を読んで、ぜひ映画化したいと思われたそうですが、どんなところに惹かれたのですか?
是枝裕和監督 一見、四姉妹の楽しいホームドラマなんですが、そのうちの一人、末の妹は腹違いで、実は三姉妹の幸せを壊した人の娘なんだ……っということが、すごくおもしろいなと思いました。そういう子を受け入れて生きていくってどういうことなんだろう、と。それと、すず(※腹違いの末の妹)はどうやって居場所を見つけるのだろう、ということにも興味がありました。まあ、こういうのって大体後付けなんですけどね。

――読んだばかりの時は、もう少し違う感情が?
是枝 不遜に聞こえると申し訳ないんですが……原作を読んだ時、「これ、俺だな」と思ったの。もし誰かが映画にするのなら、それは俺がいい、絶対に、と思ったんです。正直に言うと、そうなんです。だから撮れて本望なんですけどね。それだけにプレッシャーもありましたが、覚悟を決めてやりました。

――映画版ならではのアレンジは効いていますが、「読後感」は原作と同じものを感じました。
是枝 よかった。原作にないシーンもずいぶんあるんだけど、全体の持っている人間観とか世界観は、そんなに壊してないつもりです。

――拝見していると、「ああ、家族だなあ」と思うシーンがいくつもありました。仏壇の前で三女の千佳と末っ子のすずが手を合わせているところに、台所の方向から次女の佳乃と長女の幸が話している声が、かぶさるようにうっすらと聞こえて来る。この、人の気配や声が交錯する感じが、非常に「家族」というものを表していると感じました。監督は、どういうところで「家族だなあ」と感じますか?
是枝 ……そういうところ(笑)。ああやって声を交錯させるっていう表現はね、マンガではなかなかできないんですよ。だからあれが、「映画で描く家族」だな、と。そこに気づいてもらえるのは嬉しいですね。家族の誰かが何かしている手前とか後ろで、ほかの誰かが何かしてる、みたいなガチャガチャした状況が、家族だから。そういうところが印象に残ると、彼女たちがちゃんとあそこで暮らしているように見える。

「人」ではなく、「街」の日記なんです

――とても印象的なシーンがあります。すずが鎌倉に引き取られる前、父の葬式で、弱々しい継母の代わりにしっかりしているからという理由で、中学生ながら喪主をやらされそうになります。すずが戸惑っていると、幸が親戚たちに向かってこう言い放つ。「これは大人の仕事です」。
大人と子どもの役割の違いというものをきっぱりと描いていて、綾瀬さんの表情とあいまってとても素敵でした。監督は、大人と子どもというものをどのように捉えていらっしゃいますか?
是枝 僕の映画は、この作品に限らず、「子どもっぽい大人」と「大人びた子ども」が出て来るものが多いんですけど、これも原作を読むとそういう話ですよね。幸は子どもの時から無責任な大人……父と母に放逐され、子ども時代を奪われて、大人にならざるを得なかった。娘時代をまっとうせずに、姉妹の中で「母親」にさせられてしまったんです。幸の周りには「自分が大人であらねばならぬ」と思ってくれる大人がいなかったから。そういう中で、幸が、どう「母親」であることを背負うか……というのがこの映画の芯なので、そこをきちんと描きたいと思いました。

――子ども時代を奪われていたすずの側には、「自分が大人であらねば」と思ってくれる幸がいたわけですね。
是枝 幸とすずが相似形になっている。すずが過ごしている時間を、幸も15年前に過ごしているんです。そこがリンクして見えてくるといいなと。

――いろんなものが、つながっていますよね。幸とすずの関係もそうですし、四姉妹の祖母だったり死んだ人の気持ちもつながっています。
是枝 普段から、半分は、死んだ人に支えられている、自分たちが死んだ後も続いてくものがある、と思っています。原作に、そういう匂いがあるんですよ。食堂がなくなり、そこの主人がいなくなっても、その味は別の場所に移って残っていく……という場面が原作にあるんです。東洋的な考え方というか、中心にいるのは人間じゃなくて、もうちょっと違うものが中心にあって、そこに人が来たりいなくなったりして行く、という感じ。それが「街」の「日記」っていうことなんだと思うんですよ。

――なるほど。だからタイトルは「四姉妹」ダイアリーではなく、「海街」ダイアリー……街のことが描かれている。
是枝 あの街も、この後また誰かがいなくなって、誰かが入ってきて、微妙に変化しながら時間は続いていく。人より大きなものが描きこまれている原作だと思ったので、そこを感じてもらいたかったんです。

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写真(是枝監督) 野頭 尚子/文 門倉 紫麻