ヨガはフィットネスやスポーツととらえられることも多いですが、身体のトレーニングだけではないはず。ヨガってスポーツ?それとも違う? バレーボール選手だったヨガインストラクターのアヤコ先生に聞いてみました。

今や多くの方の生活に馴染んできたヨガ。いろいろな角度からヨガを定義するものがあるとはいえ、その過程には人それぞれ選択に自由を与えてくれるので、誰にでも気軽に行えるのがヨガの大きな魅力だと思います。

私は長年、スポーツをしていたので、今日はアスリート目線からヨガのお話をします。

ある時インターネットでこんな記事を読みました。レスリング女子の吉田沙保里選手がある世界選手権で負けそうな展開で残り3秒で逆転勝ちした試合がありました。

それを振り返り松岡修造さんが、『ああいうとき、焦ったりしないのですか?』と聞くと、吉田選手は『みんな焦るのですか?』と逆に聞き返し、『焦るでしょう!』と言われると吉田選手は、『ただ一生懸命にやっていればいつも一緒で、それが楽しいじゃないですか』『今に生きるということだけを意識していればそれでいい』『すべきことにだけ全力を注ぐしかないです』とおっしゃったそうです。

3秒の奇跡にはそんな無敵な背景があったことを知りました。

この話をキッカケに私も「敵」への意識が無くなった自分の経験を振り返りました。それは、高校生の時に足の骨が折れたままバレーボールの試合に出場した時のことでした。その時はとやかく言っている場合ではなく、ただただ必死に自分に集中したのです。すると…不思議な感覚に入り込みました。

・ものすごく集中しているけれど、リラックス状態。 
・感覚が制御され、痛みをほとんど感じない。
・心と体が一体化していてなんだか負ける気がしないという根拠のない自信。

結果、勝てないと言われていた強豪に勝って全国への切符を手にしました。私の中では結果以上に「とにかく不思議で強烈な印象」として深く残っているのは確かです。

ヨガの目的の一つに「サマディ(三昧)」という言葉があります。
「三昧」とは…
「心を一つの対象に集中して動揺しない状態。 雑念を去り没入することによって、対象が正しくとらえられるとする」と辞書には記されています。

「相手が強い」と言うけど、「強い」という名のチームが存在しているわけではないし、「苦手」という相手も誰かが「苦手」という意味をつけている。そう考えると本当に戦っている相手は「意味付けに支配された自分の心」ではないかと思うのです。

スポーツを見ていても、結局は勝った・負けたというよりも、そうした選手の自我を超えた「力強い姿」にいつも感動と勇気をもらいます。まずは「今」に集中してやってみる!!

難しいのではないか…
私にできるだろうか…

私が思うに、そんな葛藤はむしろ自分に集中すれば吹っ飛びます。また楽しければ一層没頭しやすくなります。

ヨガはスポーツではないけれど…スポーツはヨガに通ずるものなのかもしれません。

スタジオ・ヨギーのヨギー・ヨガは先生方がそんなヨガの目的を意識しつつ、体・心・呼吸を使って様々なテクニックと視点から「集中」を導いてくださるので、気軽に取り組むことが出来ます。

まずはスポーツ感覚で多くの方にヨギー・ヨガを体験していただき、集中の先にある三昧と言われる何とも言えない感覚をぜひ味わってもらいたいと思っています。

10月10日は「体育の日」。
自分のとらわれを排除して今こそヨガに耽ってみませんか?

文 ヨガインストラクター アヤコ/編集 七戸 綾子