――私たちにとって、哲学の目的とは何でしょうか?

ヨガに限らず、何をするにしても「自分が何をしているのか」「なぜしているのか」「どこへ向かっているのか」を知っている必要があります。ヨガでは、それをもっと貫く必要があります。たとえば、アーサナや瞑想の練習にはどんな意味があり、どんな経験が得られるのかを知る必要があります。哲学はそれを与えてくれるものです。

ヨガというと体を動かすアーサナの練習を思い浮かべるかもしれませんが、「ハタヨガ・プラディピカ」という古い文献にもはっきり書かれているとおり、アーサナの練習は身体を浄化することによって瞑想しやすくするためのものです。本来の目的は瞑想なのです。アーサナはほんの一部です。このことからも、ヨガを理解しようとするうえで、哲学などのアーサナ以外の部分を学ぶことが重要であるとわかります。

――ひとりでヨガ哲学の勉強をしようとすると、本を読むだけでも難しくて行き詰まってしまったり、考えすぎてわからなくなったりしてしまいます。

私の先生は、自分のハートにぴたっとくる練習方法、勉強方法をまずひとつ選びなさいと教えてくれました。自分の好きな方法をメインにしながら、他のものに触れるようにするといいのでは? 

「ヨガスートラ」という文献にもあるように、ヨガのプラクティスとは、繰り返し繰り返し行うことです。そうすれば自分のコアとしての強さが生まれ、バランスがとれますよ。それぞれのライフスタイルによって自分の時間をみつけるのは難しいと思いますが、朝1時間を自分のヨガのために使うのがおすすめです。その1時間があなたの1日を決める1時間になります。それが難しければ30分でもいいし、他の時間帯でもいい。

自分なりの方法を決めて、定期的にやってみてください。練習や勉強をするとき、仲間をもつということも大切です。仲間がいればお互いの意見から学ぶことができます。

――このインタビューを読んで瞑想や哲学に興味をもつ人も多いと思いますが、日本では過去にヨガに関係した悲しい事件がありました。学びたいと思う反面、あやしい宗教だったらどうしようという不安もあります。宗教とヨガ哲学とは、どう違うのでしょうか?

とても重要な質問です。まず何よりも、インドでは生徒一人ひとりがちゃんとした判断力をもたなければならないと言われています。教えられている内容をよく見ること、先生をよく見ることが大切です。盲目的にその教えを信じてついていくのではなく、冷静に判断しなければなりません。これが宗教とヨガ哲学との大きな違いです。宗教は信仰が基本です。でも、ヨガ・哲学・瞑想は信じなくてもよいのです。信じなくても、それを自分で試す姿勢が基本です。

ブッダは「私が言ったことを鵜呑みにしないように」という言葉を残しています。私もグルが「自分を信じなさい」と一度も言わなかったことに、とても感謝しています。彼は、その練習をしなさい、自分で試してそこから判断しなさいと教えてくれました。

ヨガは個人の考え方や感じ方を敬っていて、本当にすばらしいと思います。本人が自由に感じられなかったり、強制やコントロールを感じたりするのであれば、そこから抜けるべきです。そして、惑わされないためにも、瞑想によって洞察力や直観力を身につけ、哲学や歴史を勉強しましょう。伝統を知れば、「ヨガとは何か?」という問いの答えが時代によって違うとわかり、自分の意見がはっきりします。「それはヨガではない」というような言葉にも惑わされず、自由でいられるでしょう。

もちろん哲学も、その助けになります。哲学は決してヨガと切り離されたものではなく、ヨガの起源から現代に至るまでずっと、ヨガの内にあるものです。どうぞ自分でいろいろと試してみてください。何か変化が起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。それでも、期待せず、心配せず、歩んでいきましょう。

ヨガ、哲学、瞑想は、信じなくてもよいのです 1/2

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取材・文 古金谷 あゆみ/「スタジオ・ヨギーのある生活」vol.7より