いまから10年近く前になりますが、キミ先生のベーシックトレーニングコース(BTC)を受講したときに、水の結晶の写真を見せていただきました。「ばかやろう」と言った場合の水と、「ありがとう」と言った場合の水では、結晶のかたちが異なっていました。

気持ちをもたないはずの水が、かけた言葉によって変化するというのに驚きました。暴力のように直接人に手をあげるだけでなく、言葉によって人を傷つけた場合にも、実際に人は心だけではなく、身体もダメージを受けることが想像できます。

キミ先生いわく、「他者によって傷ついたとしても、それを心の中で反復すると、何度も体験することになるので、身体の中の水の結晶はネガティブな結晶になってしまう。機嫌が悪い人は心の中でネガティブな想いを増幅させているのが、結晶にも、表情にも表れる。」とのこと。目に見えない思いはまた、確実に心に、体に影響するんですね。

たとえば、海外でその国の言葉がわからなくても、伝えようとしたら伝わったり、状況や表情で相手がどんな状態にあるか、察しがつくように、言葉がわからなければ、すべてがわからないわけではありません。

言葉のわからないはずの犬や猫と意思の疎通ができるのはなぜでしょう。犬や猫が喜んでいる様子、不満な様子が動きから伝わってきます。また、こちらが怒っていたり、褒めていたりが伝わるのは、ことばだけではなく、表情や、声色からだったりするのではないでしょうか。

見えたり、聞こえたり、と他者と共有できるような、五感で感知できるものもあれば、胸騒ぎがしたり、なんとなくそう思う、という感覚は、一見、他者と共有できないように思えます。ところが、キミ先生によると、「ヨガでは、本質は一つで、胸騒ぎとか直観的なものは、本質に近いので、実は他者と共有しやすいもの。でも、それが表面に出てくるにつれて、性格や記憶や感情が付随してきて、他者と共有しづらくなります。」

目に見えない“本質”や思いなどを、共有しづらくしているさまざまなことを超えて、共感したときには、喜びがありますよね。音楽、ことばの響き、私たちのたてる物音…音はバイブレーションとなって波のようにまわりへと伝わっていきます。意図して、あるいは意図せずにも、音を通じて私たちは日々、伝えあっているんですね。

目にみえないものの大切さ 2  言葉と心

お話 ヨガインストラクター キミ/文・編集 七戸 綾子