情熱を傾けられることを見つけた。

大学卒業後、民間非営利組織にてプロジェクトマネジメントとファンドレイジングを経験し、主にアジア地域での教育支援事業に従事していた大野さん。学生時代、国際開発について興味はあり、インドネシア語を勉強していたことはあったが、実は、熱い思いでNPOを志して進路に選んだわけではなく、最初は空いた時間を役立てようというのが動機のひとつだった。

大学を3月に卒業後、9月にイギリスへの留学を控えていたため、それまでの時間、ボランティアをしていたことがきっかけになる。それは、表現活動をすることで子どものきずを癒すワークショップのための準備をする仕事だった。

「クリエイティブなことで応援する活動だったのですが、とにかくそのボランティアの仕事が楽しく、最終的には予定していた留学をとりやめて、そのまま正スタッフとして就職する機会を得ました。」

進路を決める大きな決断をあっさりとした大野さん。迷いはなかったのだろうか。

「NPOでお給料をもらって働く、と決まったときに、迷いはありませんでした。留学をあっさりやめたのは、そもそもどこか迷いがあったからです。自分がビビっとくるものがなかったんです。情熱を傾けられることがまだ見つかっていなくて、留学を選んでいたのだと思います。」

もちろん、人並みに就職活動をする際に考え、営利企業で働くことも選択肢にあり、NPO就職後も転職することは考えたそう。結局そのNPOには10年ほど在籍し、キャリアを積むことに。

当時友人など周りは、外資系や一流企業に勤めている人も多く、NPOでボランティアをすることはあっても就職する人は珍しい時代。それでも大野さんの中には就職先として営利・非営利の違いは特になかった。

「自分の余力の部分を社会に還元することは当たり前のように思っていましたが、余力を自分自身に持てるようになりたいという思いもあり、営利企業も選択肢の1つでした。」

仕事にする、ということが大事

大野さんは、2007年に、学生時代の友人と再会する。その友人は、夫の転勤に帯同しベトナム・フエ市に住むことになり、ちょうど市内の市場でゴミ拾いをしていた子どもたちを対象に識字教育のチャリティプロジェクトを開始していた。

友人の話から初めて、フエにいくつかある、元々魚釣りで生活をしていた船上生活者の居住地域、フーヒップというエリアのことを知る。

フーヒップは貧困で荒んでいる地域。観光政策により船上から地上に追われ、生活の術を奪われ、仕事がないことでドラッグやギャンブルにおぼれていく大人たちや、親によって年ごろの女の子たちが売春や長時間労働を強いる違法工場への人身売買の犠牲になっていた。

その現実を目の当たりにした友人の話は、これまでパキスタン、カンボジア、フィリピンなど様々な国の子供たちへの支援事業に従事してきた大野さんにとっては、放っては置けない話だった。

その頃、大野さん自身もご主人の海外転勤や、体調を崩したことなどもあり、一度NPOの仕事を離れていた。かつてNPOでファンドレイジングをしていたとき、NPOが寄付を主たる資金源として活動する中で、個人ではどうしても越えられない壁を感じていたこともあった。

「一番必要だと感じるニーズのある場所に、正しいお金を活用したい、そんな思いを持っている時に話を聞いて、友人の子どもたちに向けた識字教育への思いと私の知識と経験、そして思いが重なりました。」

貧困を理由に学校教育を受けられず、地域にお金になる仕事もなく、希望が見いだせないまま大人になっていく子どもたちへの支援活動が、アクセサリーブランド「フーヒップ」のはじまりだった。

フエに暮らしていた大野さんの友人高橋さんは、現在フーヒップのアトリエで生産管理を統括している。彼女はそのころフエの女の子たちの教育支援に携わるうちに、当初8~9歳だった少女たちが、12、13歳になり、稼ぎ手となったときに、不当な労働に就かなくていいようにどうしたらいいかと苦悩していた。

フーヒップは、そんな少女たちが、教育を受けられ、そして夢が持てるように、住んでいるエリアでできる仕事を作り出すことを形にしたもの。10代後半~20代前半の女性たちに最初は、非営利で職業訓練をする。手先の器用さだけではなく、読み書きや計算が仕事をする上では必要になるので、そこからまず教える。仕事の姿勢、時間通りに来ること、気分ではなくきちんと仕上げること、集中して仕事する、ということも教えていく。

仕事にする、ということが大事で、対価としてきちんとできること、働いた対価としてお給料をもらうこと、つまり事業としてグローバルスタンダードでやっていくことが、彼女たちの自立と継続性につながると考えた。

「子どもたちには力が限られています。自分たちで力をつけられるようにエンパワーすることができれば、自分たちの力で立ち上がっていけます。それが大事なんです。」

2012年、ブランドとしてフーヒップの最初のコレクションを発表。2014年に会社化する。フーヒップは現在、エシカルアクセサリーブランドとして、洗練されたデザインと美しい手仕事の融合が、自分らしさを求める女性を中心に評価されている。

必要なところにお金を届けたい。

大野さんは、2014年には日本にドッツジャパン合同会社を設立した。現在、代表社員を務める彼女は、けして起業を目指していたわけではなく、フーヒップの事業を続ける中での必然だったという。

「ミッションを共有し、ともに活動するメンバーの中でたまたま私が、活動を事業化させ、またいかにして継続していくかのマネジメントの役割を担っている、という感じです。」

NPOも、フーヒップの事業も、支援にとどまらず、自立できる仕組みづくり、つまりは経済的な価値を創出し、継続させていくこと=マネタイズとビジネスセンスが必至だ。大野さんには非常にそういった意識が強く感じられるが、そう思うに至ったきっかけはなんだったのだろう。

前職でのこと。ボランティアとしてではなく、NPOに正スタッフとして就職したからには、ファンドレイジングと非営利マネジメントのプロになりたいと決意。プロフェッショナルとして、集まった100の資金を200の価値に変えるプロジェクトを設計構築する仕事にとてもやりがいを感じていた。

「こういったナレッジやスキルは、使途の違いこそあれ、営利であっても非営利であっても特に違いのないこと。そういう意識で特にNPOでボランティアをしているという感覚ではなく、もちろん仕事として取り組みました。」

大野さんは、そのノンプロフィットの仕事をしている当時から出張でベトナムにも行っていた。ストリートチルドレンのいる場所でどういう支援が必要とされているか、視察をしたいた。滞在中、ストリートチルドレンに食事を配る機会があったときの出来事だった。

「それはごはんに小さな魚の干物、というたいへん質素な食事でした。ある6歳くらいの男の子が、半分食べたところで食べるのをやめました。どうしたの?と聞くと、自分の隣に住む戦争で足を失ったおじさんにあげるんだ、と言ったんです。

子どもながらも、もっと必要な人がいるんだ、ということを思っているんですね。こんな小さな子たちでも、役に立ちたい、という想いがあるんです。社会と関係をもち、役に立ちたいという想いは、どんな人も持っているのではないでしょうか。」

また、NPOでファンドレイズをしていた大野さんは、その資金源となる寄付を募るため、企業を訪問していた。ある企業でベトナムの実情を話して寄付をこういう活動に役立てたい、と説明すると、その企業ではカンボジアに工場があるので、カンボジアでなにか支援できることはない?と、いうようなことを言われることが多かった。

「企業側の関心とNPO側の要望がずれることがよくありました。必要なところにお金を届けたい、とこのとき、切実に思いました。企業側の事情で優先度に影響が出てしまう。自己資金があれば自分たちでジャッジして、必要なところに届けられるのに、と思うようになりました。」

インタビュー後編「自分の生まれた意味を、感じていたい」につづく

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写真提供:Ha Le、Phuhiep、HUE HAPPY PROJECT / Phuhiep/取材 七戸 綾子