まず“汝自身を知れ”ということだ。もし自分自身を知らなかったら、それ以外のことを知るのにも間違いを犯す。われわれは、自分が外界を見るのにどういう色眼鏡で見ているかということを知らねばならない。それはきれいだろうか? 色が着いてはいないだろうか? もし色が着いているのなら、当然、外の世界にもその色が着いているように見えるだろう。そういう色に見えるからといって外の世界を責めることはできない。
――『インテグラル・ヨーガ』より


この文章は、私がヨガを学び始めたときに、目から鱗であり、深く納得した言葉です。

子どもが小さかったときに、こんなエピソードがありました。

仲良しで家族ぐるみでお付き合いしている3家族で集まっていたときのこと。大人は、ご飯を囲みながら話に花を咲かせていました。隣の部屋では子どもたちが兄弟含めて総勢5人。きゃっきゃきゃっきゃと遊んでいました。いわゆる幼馴染。小さい頃からずっと一緒なので激しく遊びます。つかみ合いもするし、馬乗りにもなります。そのうちの5歳の男の子と女の子ふたりが何やら言い争いを始めました。

女の子は口が立ちます。5歳の女児の口の立ち方といったら、まあ凄いです。男の子は腕力では負けないけれど心優しく、女の子に手を出してはいけないことを小さい頃から教えられています。一生懸命つたない言葉で応戦しています。うちの子も同い年だけど、いつも静かにみんなの影になって後ろにくっついているタイプ。その時もふたりの間でオロオロしていました。

さあ、ふたりの言い争いも大ごとになってきました。隣の部屋でしゃべっていた私たち親も、そろそろ仲裁に入ったほうがいいか、子どもたちがヘルプと言ってくるのを待つか、見守っていました。女の子の主張がわぁ~~っと言い放たれた後、泣き顔のふたりが大人のところへやってきました。そのときの一言を私は忘れられないんです。

「もう、Aちゃんなんて、だいすきじゃないもん!!」

男の子が泣きじゃくりながら放った言葉です。

「だいすきじゃないもん」

振り絞って出てきた言葉。

「もうきらい!」じゃないんです。口論に負けて、悔しい中で出てきた言葉。相手を言い負かしたいところに吐き出された言葉に、私はその子の根っからの優しさを見て感動しました。彼がどこまで理解しているかなんてわからないけれど、「きらい」という言葉のエネルギーが相手に与える影響をちゃんとわかっているような気がして。でも、言ってやりたくて。でも言っちゃダメなことをちゃんと分かっている。これって、とってもとっても大事なことだと思いませんか。

私は大人になってから、合理的に生きる術を身につけすぎて、こういう子どもたちのやりとりに本当にハッとさせられるんです。私だったら、嫌いって言葉を使うかもしれない。私だったら、自分を守るために先に相手を傷つけてしまうかもしれない。自分が傷つかないように、関わるのを諦めるかもしれない。もしくは白黒はっきりつけるために、他人のジャッジを仰ぐかもしれない。

もちろん、生きるうえでは当たり前の、スキルなのかもしれません。そのほうが簡単だし、楽に生きられるコツでさえあるかもしれない。でも、私はその考えが基本になって、はじめから物事や対人に批判的だし、関わることを希薄にしているかもしれない。自分から遠い人に対しては、平気で「嫌い」を使うかもしれないし、他人に評価や自分の正当性を求めて、いい気になっているかもしれない。「世の中、そんなもんでしょ。」って、見ているかもしれない。

「だいすきじゃないもん」
5歳の男の子が放った一言で、自分の心に足りないものをふっと思い出し、そんな心で見る世界はどんなだろう・・・と思ったのです。

私は色眼鏡をかけていたんです。「世の中そんなもんでしょ」という色眼鏡。だって、みんな平気で人を傷つけるし、言いたいこと言うし、自分だけが傷つくのって馬鹿みたいでしょって。だから関係を希薄に保ち、気が合わなくなったときには、その人を諦めればいいんだわ・・・って。色眼鏡つけて色んなこと学びすぎて、世の中がよりひん曲がって見えているかもしれない。

でも、「汝自身を知れ。」
私は、そうやって色んなことを諦めている自分をあまり納得していないのかもしれません。だから、「だいすきじゃないもん」という言葉に涙が出てしまうのかもしれない。「きらい」と言う言葉を容易く人に向かって使ってはいけないこと。5歳児に教えてもらうんです。当たり前の道徳。知っていたはずなのに、彼の心を介して思い出すのです。

私たちはみんな知っているはずなのに、どこかでズルくなっている。もしかしたら自分の子どもにさえ使ってしまっているかもしれない。

今一度、心の色眼鏡をきれいに磨かなくてはいけないな・・・と思うエピソード。
ちなみに、その時の娘の行動もまた面白かったんです。口や行動ではみんなに追いつけない5歳児は、ホワイトボードにこんなふうに書いて、ふたりをなだめようとしていました。

なかないで
はなしかけて
あやまらないと

なんだか、子どもの世界って美しくありませんか?

心のどこかが少しうずいたら、今日だけでも、色眼鏡、外してみませんか?

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文 ヨガインストラクター ミヅホ/編集 七戸 綾子