人生において、何故だか怒涛のように色んな出来事が一気に押し寄せる時があります。

子育てが始まって、同時に親の介護が始まる人もいるかもしれない。もしくは、妊娠と同時に自分の中に潜んでいた負の感情やトラウマのようなものと向かい合わなきゃいけなくなる人もいるかもしれない。それによって自分自身のコントロールを失ってしまう人もいるかもしれません。私もそんな一人だったと思います。

でも幸いにも私には、その時「ヨガ」がありました。「思考」と「感情」をごちゃ混ぜにして、ただ漠然と悩んでいたそれまでとは違って、ヨガの知恵は自分の中の整理整頓にとても役立ちました。

ヨーガとは、心の働きを止滅することである

ーーヨーガ・スートラ第1章2節


アーサナ(体位法)やプラーナーヤーマ(調気法・呼吸法)の鍛錬は、自分の内側に眠っているエネルギーを呼び覚ましてくれましたし、不必要に抱え込んでいた感情やこわばりを手放させてくれるものでした。それだけで解決できる悩みもたくさんありました。

同時に、得体の知れない元気が出たのも事実ではあるけれども、思考と感情が整理されるにつれて、今までの人生で蓋をし続けてきた、心の奥底に置いてきた人生の課題のようなものと向かい合わなきゃいけない試練もありました。

心に着せた鎧や色眼鏡をひとつひとつ外していく作業は、時に恐怖にも似たものでした。この鎧を脱いでしまったら、今までの私が崩壊してしまうんではないだろうか・・・。その鎧の奥にいる私は、実はとんでもない人間だったらどうしよう・・・。生きていられるだろうか・・・。向き合うだけの体力が自分の心にはないような気がして、トレーニングを進めたくない時期もありました。

でも不思議なのは、そんな時にはアーサナが私に元気をくれるのです。体に体力がつくとなぜだか心にも体力がついて、抱えた問題と向き合っても大丈夫な時がやってきます。

ヨガは色んな角度からのアプローチを持っていて、本当に凄いなぁと感心します。

動く元気が出ない程、自分を大切に扱う暇を与えられない程、人生はたくさんの問題を矢継ぎ早に与えてくるときがあります。

でも、問題(課題)と向き合うためには、絶対的に元気がないと難しいです。ずっと、「悩み」として自分の中に居続ける、負の要素。

もし「悩み」の中に溺れていたら、とにかく必死に岸までは泳がなきゃいけない。岸にたどり着いたらきっと、その「悩み」が客観視できるから。そして客観視できた「悩み」はきっと「課題」に切り替わります。だから溺れていないで、とにかく泳いで岸までたどり着いて。頭使って考えずに体を動かすこと。動くこと。

アーサナの練習って凄いです。騒いだ心を入れている器(身体)を安定させたり強くしたりすることで、絶対的に心は落ち着きます。これはもう、理屈ではないです。必ず心の体力が養われます。

でも・・・、どうしても・・・、そんなこと頭でわかっていても動けないとき、どうしようもないときもあるかもしれません。

有名な詩人・相田みつをさんの詩に、こんな言葉があります。

どうあがいてもだめなときがある
手を合わせるしか方法がないときがある
本当の目が開くのはそのときである

祈りの瞬間、心の中には「不安」は共存できないといいます。
願ったりすがったりするのではなく、ただただ手を合わすしか方法がないとき。
アンジャリー・ムドラー(合掌)。

ふたつのものをひとつに繋ぐ。自分を明け渡し、他を受け入れる。心が鎮まります。その時、その目は何を見るんでしょうね。心の働きが止滅したとき、やるべきことが見えてくるでしょうか。

私にも、そんな手を合わせるしかない時がありました。もういらないと思った自分の命が、生かされてしまった「今日」に苦しんでいた頃がありました。でも、自分の全てを投げ出し、自分自身を明け渡したときに、与えられていた色んな物事が見えてきました。それは、本当に尊い経験となりました。体の底から、心の底から、エネルギーが・・・生きる力が湧き出ている事を知りました。

「生きている」のではなく、「生かされている」ことに気づいてしまいました。命は続いていく。与えられている限り、自分を生き抜こうと思いました。

最後に、何度も私を救ってくれた祈りの言葉をご紹介します。
誰かの今を助けてくれるかもしれないから。
詩聖とも言われるインドの詩人、ラビンドラナート・タゴールの詩です。

「ベンガルの祈り」
危険から私を守ってくださいと祈るのではありません
危険の中にあっても 怖れることのないようにと祈るのです
悲しみや心の痛みのさなかにある私を
慰めてくださいとは願っていません
悲しみから立ち上がる力を下さいとお願いしているのです
追いつめられた時にも 崩れ落ちることのないように
背間的な失敗、挫折をくり返しても
それらが取り返しのつかないものだと考えることがないように助けてください
私を救いに来てくださいと祈っているのではありません
打ち克つ力が欲しいのです
私の荷を軽くして楽にしてくださらなくてもいいのです
重荷を担う強さをお与えください


私たちがもうすでに、その力が与えられているという事に気づく事が出来ますように。今、大変のさなかにいる方に、祈ります。

文 ヨガインストラクター ミヅホ/編集 七戸 綾子