“ライフオーガナイザー”という職種をご存じだろうか。「思考と空間を整理する」プロフェッショナルのことで、単純に言ってしまえば片付けのお手伝い。でも、ただの片付けとは違って、それぞれの価値観や思考を尊重したうえで、快適に暮らせるように導いてくれる。
瑞穂まきさんは、中学生ぐらいから学校や友だちに溶け込めなくなってしまった娘との関係がきっかけとなり、ライフオーガナイザーになった。
血のつながった親子であっても、思考も価値観も違うもの。また親子ゆえに、すべてを知っていると思いこみ、その違いをなかなか理解することが難しくなってしまう。

そんな瑞穂さん親子に、これまでの母と娘の軌跡を語ってもらった。

あまり人と合わせられない、マイペースな子なだけだと思っていた

「娘は、小さい時からとてもマイペースな子でした。例えば毎朝、幼稚園の送迎バスが来るのに、時間がきても娘はゆっくりとハンカチを選んでいる。『早くしなさいね』といくら言っても全然応えてくれない。毎朝のことで、本人もそのことは理解しているはずなのに」
瑞穂さん自身は、思い立ったらすぐにやるタイプで、やるべきことは期限を決めて終わらせるタイプ。だから娘の行動がなかなか理解できず、ちょっと変わった子なのだと思っていたそう。さらに、2歳半の息子を抱え、日々に追われる中では娘のペースをそうそう尊重してもいられなかった。
「私自身は3人姉妹の長女だったこともあり、お利口さんでなくてはなりませんでした。家も自営業でしたし、手のかからない子であるべきだと。そういう点では、長女である娘に対しての要求も自然と多かったのかもしれません」

その頃、娘が描いた運動会の絵は、緑色の体操服が描かれていた。実際の体操服の色は白とブルー。すると幼稚園の先生が心配して娘に聞いた。
「どうしてこんな色に塗ってしまったの?」
一方娘は、どうして体操服の色を見たままの色で描かなくてはいけないのか、わからなかった。

マイペースながらも、小学生の頃は友だちと楽しくやっているようだった。
でも、中学に入った頃からクラスに出席をしなくなった。

「友だちの話に興味が持てなかったんです。だんだん、話を合わせることもできなくなって。ある時母に『景気がいいというのはどういうこと?』と聞いたことがありました。母は『景気がいいということは、お金が循環していること』だと。それはつまり物が売れることだと考えました。でも、その時ふと思ったのは、例えば“紙”が急にたくさん売れてしまったら、その原料となる“木”の生長が追いついていくのだろうかと。景気がよくなることによって、木がどんどん減ってしまったらみんな呼吸ができなくなって、地球が破たんするのではないか。何かを食べたり使ったりすることは楽しいけれど、それは同時に地球を奪うことでもあるのではないかと」

瑞穂さんは、まさか、自分の子どもがそんなに複雑に物事を考えているなんて思いもよらなかったという。
「あまり人とは合わせないマイペースな子なだけかと。ましてや、自分が地球を搾取しているのではないかなんて、考えているとは思ってもみませんでした」
中学生の間、ほとんど自分のクラスに出席しなかったけれど、代わりにカウンセリングの教室とフリースクールには行っていた。親にとっては、それは唯一の救いでもあった。
「カウンセラーの先生は、アドバイスや指示をするのではなく、すべてを受け止めてくれたそうです。それがよかったみたいですね。それでもやっぱり親としては心配なわけです。いつまでこれが続くのだろう? 何より、コミュニケーションがこんなに少なくて大丈夫なの? 子どもは子どもの社会で、今、学んでおくべきことがあるのではないかな、と」
そんな不安をフリースクールの先生に相談すると、「お母さん、コミュニケーションは量ではなくて質ですよ」と一蹴されたという。
「子どもはいろいろなところで揉まれることによって成長するのだと思っていた私にとっては、新しい考え方をもらいました。それでも、高校生になって環境が変われば娘も変わるのではないかと、また期待してしまうのです。何とか打開策がないかと。最初はお尻を叩いて無理にやらせようともしました。でも、人が普通に苦もなくできることが苦手な人もいるんです」

娘は娘で、この苦しい日々から抜け出そうともがいていた。
「生活すること自体が苦しくて。でも暗い気持ちでいるのも苦しいし、友だちとうまくいかないのもいいわけじゃない。時には、好きなだけ物を食べて欲しいものを買ってみたりもしました。それまで考えていたことを、なかったことにしてしまおうと。でも、やっぱり苦しいままでした」

「娘がそうとう苦しそうなのもわかっていました。だからこそ、無意識に真に受けないようにもしたんです。そんなに深刻なことじゃないって。そうじゃないと暗いし、笑わないし。私自身も苦しくて。いえ、自分のことだったら、よっぽど楽なのにって」

自分が見ている環境が自分を作るんだよ

娘が、そんな日々から抜け出すきっかけとなったのが、ある本との出会いだった。
「このまま10年先もこの暗い気持ちで生き続けることになるんだろうか。そう考えたら、それはちょっと嫌だなあと。それで、心理学の本をたくさん読むようになって」
本を読むうちに、今の自分を形成しているものに、潜在意識が大きく関わっているようだと考えるようになる。潜在意識は頻繁に触れるものから刷り込まれるもので、特に入眠と覚醒の時に入りやすい。つまり、自分が寝起きしている部屋の環境が最も影響を与える。
そこから、環境学、部屋の整理、風水という図式で本を読み進め、いきついたのが『ガラクタを捨てれば未来が開ける』(カレンキングストン著)だった。

「自分の中でずっと思っていたことが、その本に書かれていて、やっと納得できたんです。
『住環境が汚い中で、人は健康にはなれない。汚い空間で呼吸をしても、健康を害するだけ。地球上に不幸ないる人がいる限り、心から幸せにはなれない』。
最初は読むのが楽しくて、なかなか片づけまでいかなかった。でも、実際に行動をおこしてみると、どんどん苦痛がなくなっていったんです。物が視界に入ってくると集中できない。それはノイズと同じで、つまり情報過多ということなんです」

瑞穂さんいわく、娘の部屋はずっとカオスの状態だったという。それがみるみる片付いていった。床がきれいになり、たんすの中もきれいになり、最後は棚すら捨ててしまった。残ったのは寝る場所と制服と少しの着替えのみ。
「あげくの果てには『自分が見ている環境が自分を作るんだよ。ママも片付けたら?』と言われて。まるで上から目線。そもそも私は普通にきれいにしていましたし、本を薦められても読もうとさえしませんでした。でも、どんどん娘の部屋が片付いていくと、力技で納得させられてしまいました。そして試しに階段の下を一緒に片づけてみたら、思いのほかすっきりして」

娘は、自分の苦しみの原因がわかったことで少しずつ楽になっていった。悩んでいたすべてのことが解決したわけではないけれど、改善したことは確かだ。
ずっと無気力な子だと見られていた。でも娘にしてみれば、実際に身体もだるくて、気力も出ないし動けなかったのだ。目に見える病気ではなかったから、自分でも原因がわからなかった。ましてや周囲から理解されるはずもない。
片付けをやるようになってから、「風水」だけでなく「気良い(清い)」という視点から「清体」に通うようになり、身体のだるさからも解放された。以前は、人と話すことをあきらめていたけれど、相手と向き合うようになった。
「娘はここ何年かで、私の言葉に食い下がるようになったし、意見や理由を言うようになりました」

娘の変化と共に、“片付け”ということに瑞穂さん自身も興味を持ち始めた頃、雑誌で「ライフオーガナイズ」という言葉を目にする。人には利き脳があり、それによって生活にも傾向がある。効き脳とは、情報をインプットする時とアウトプットする時に使う脳のこと。感覚的な右脳と理性的な左脳のどちらを使っているのか。インプットとアウトプットの組み合わせによって4タイプに分けることができる。それによって得意な片づけ方も違い、さらには、育った環境や職業、持っている価値観によっても変わるというもの。
思い立ったらすぐ行動に移す瑞穂さんは、入門講座をとると、2級、1級と進み、最終的にはライフオーガナイザーの資格まで取得した。

話してもわからないことがある、と理解すること。

「ライフオーガナイズの考えは、まずその人の価値観をはっきりさせます。その人がどうしたいのか、何を一番大切に思っているのか。家族であっても、価値観は違う。それで腑に落ちました。価値観についての講座の中で、一番わかりやすかったのが、ペンを選ぶというもの。ブランドのペン、機能的なペン、書けなくなった思い出のペン。5種類くらいのペンに、自分にとって大切だと思う順位をつける。私としては、書けなければ意味がないので思い出のペンは最下位だけど、それを1位にする人もいたんです。当たり前のことのようだけど、とても驚きました。そして改めて、そうか、本当に価値観は人それぞれなのだと」

よく、話せばわかると言う。わかるまで話すべきだと言う。でも価値観が違うのだからわからないこともある。ただ、そういう考えを持っているのだと理解することはできるのだ。

瑞穂さんの効き脳はインプット・アウトプット共に右脳。娘はインプットが右脳でアウトプットが左脳。瑞穂さんが情報を出す時、つまり娘に指示をするとき、感覚的であることが多い。
娘いわく「母にはよく、察しが悪いと言われました。例えば、『いい感じにやっといて』と言われても、どんな感じなのかわからない。目的が掴めない。それが、オーガナイズを始めてからは変わりました。昔の母は、一番いいものが決まっていて、あとは妥協点でしかない。だから私は選択肢をもらえなかった。でも今は一番を決めなくなりました」
瑞穂さんは、人と違ってはいけないと思っていたという。だから子どもに対しても「こうあるべき」という態度で接していた。今は良い意味で「ま、いっか」と思うようになったという。
「このことをもっと早くに知っていたら、ずいぶん楽だったかもしれません。大人になっても親子は親子。かといって子どもの時とは違います。関係はこれからも変化していくかもしれません。今も、2人の葛藤はまだまだ続いているのです」

写真 野頭 尚子 /文 横山 直美