今回のタイトル「子どもひとりが育つには、ひとつの村が必要だ」は、アフリカの諺にあるそうです。私が子育て支援士になろうと思ったとき、教えてもらったことわざです。

私の上の娘は、本当に引っ込み思案でした。人見知りや場所見知りが強くて、どこに行っても、私に抱っこ抱っこで、離れることが出来ない子でした。実のおじいちゃんおばあちゃんにも抱っこはもちろん、顔を見せることすら出来ない臆病な子でした。お友だちと遊ばせていても、私の膝の上でじっとして、他の子がハイハイしてても歩き出しても、その後姿をただじっと見つめて動こうとはしませんでした。私は、周りの子と同じことが出来てほしいと思っていましたから、じっと動かない娘に不安を抱いていました。

そんな育児にヘトヘトだったとき、支援士さんに3時間だけ預ける機会がありました。初めて人に預けます。緊張しました。泣きどおしなのではないかと、たった3時間なのに、いてもたってもいられず、何も手に付かずに過ごしました。

3時間後、お迎えに行ってみると、支援士さんの腕の中でスヤスヤ眠っている我が子がいました。支援士さんは、笑顔で私を迎えてくれながら、
「この子はかしこいわよ~。よ~く周りを見ているの。みんなを観察しながら、いろんなことを吸収してるのね~きっと!すごい子だよ~。」
と3時間の様子を色々と話してくださいました。

私にとっては弱点だったんです、娘が動かないことは。でも、支援士さんは、じっと動かない娘のその様子を違う視点で見てくださった。そして、その見解に私は、もの凄く勇気付けられました。そんな見方があるのか・・・と。

そしてまた、別のある場面で。
ひろばで遊ばせていた少し先輩のママさんが、
「うちの子もひどかったのよ、人見知り。でもね、人見知りって、赤ちゃんにとって、他の人の愛がなくても充分だよ~っていう証拠なんだって。ママの愛で充分に満たされてるから、ママ以外の人からはいらないよ~っていう安心があるんだって。充分ママの愛で満たされてるから、だから安心して冒険させればいいんだよ~!!」
と話してくれました。

目頭がカァーーっと熱くなったことを思い出します。なんて素敵な考え方なんだろ
う・・・。

それからというもの、勇気がわいて、いろんな人に抱っこしてもらおうと泣いている娘を笑顔で人に任せる事ができるようになりました。近所のおばあちゃんと友だちになって子どもを見てもらったり(お泊りにも行っちゃったりして)、いろんな交友が広がっていきました。たくさんの人の愛を受けて、どんどん子どもは育っていきました。

ひとりで悩んで、どうしようもなくなった時、ちゃんと自分の心に違う光が差し込んでくる。そんな見方で考え方で自分の子を見つめてみたとき、まったく新しい子どもの育ちが見えてくるんです。

私ひとりじゃ、ここまで育てられなかったなぁと私は実感しました。

出会う人たち、出会う言葉、見守ってくれる人。褒めてくれる人。叱ってくれる人。愛してくれる人。たくさんの人に触れて育っていく。彼女が彼女らしく、愛されていく。

ママだって、初めての育児。わからない事だらけ。昔のように「向こう三軒両隣り」とはいかないけれど、自分じゃない、誰かの知恵が必要になってくるときがあります。その知恵を受け入れる事も、違うな・・・と判断する事もあります。でも、その知恵に出会うには、やはり「向こう三軒両隣り」もしくは、「ひとつの村」が必要と昔の人は言いました。

小さい頃、あなたを助けてくれた人はいたかしら?救ってくれた言葉はあったかしら。見守ってくれたな~と心に浮かぶ人は誰かしら。きっと何人もいるはずです。

どうやって出会うんだろう・・・。誰と出会えばいいんだろう。
心を平らかにして、深呼吸して、欲してみてください。
必ず出会えます。
心を平らかにして、深呼吸して、欲してください。
必ず出会えます。

「でも・・・、だって・・・、」に縛られている自分の心に気づいたら、その心を解いてくれる誰かがやってきます。必ずいます。

その眉間のしわや、肩の緊張や、胸のこわばりは、今のあなたを大事に守っているかもしれないけれど、でも、どうぞ出会ってください。心を平らかにして、深呼吸して、欲してみてください。

「必要」は今、そこに与えられています。

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文 ヨガインストラクター ミヅホ/編集 七戸 綾子