──解剖学の魅力はなんですか?

僕にとって解剖学の魅力は、いろいろな問題があったときに、解決してくれる原点だということですね。ヨガとかピラティスで、みなさんが諸問題を抱えて僕のところにいらっしゃるんですけど、解剖学関連の知識を得ればある程度の筋や骨の問題は解決できますよ、ということがよくあります。人間の体の構造と機能を学ぶことで、私たちの体をよくすることもできるというところが魅力かな、と思います。

──スポーツトレーナーに興味をもったきっかけはなんですか?

中学生のときに陸上競技部に所属していて、100、200mの選手でした。腰が痛いとか、肉離れになることがあったのですが、その頃、故郷にはスポーツのトレーナーはいなかったので、鍼灸師の先生に大変お世話になりました。こういう職業があると知り、体をメンテナンスする職業に就きたいな、と漠然と思ったのが一番初めかもしれません。

鍼灸養成校に進学を考えていたのですが、高校生になったら医師に憧れて、医師薬系コースという理系コースに入りました。ところが模試の文系理系度の判定では、理系が10段階中1で、文系がマックスの10だった。まったく理系の資質がなかったらしくて、あ、こりゃ無理だなと。そんなときに雑誌でトレーナーという職業をみつけて、元々体のケアに興味を持っていたし、スポーツも好きだったので、トレーナーの勉強ができる大学に進むことにしました。

スポーツトレーナーの黎明期とともに学生時代を過ごす

──大学に入って、想像していた勉強の内容でしたか?

早稲田大学は体育会の部が50部ぐらいあるんですが、1997年当時、そのなかで学生トレーナーがいた部はたった3つしかなかったんです。早稲田のトレーナーの育成者である中村千秋先生が初めて赴任されたのがその同じ年でした。“トレーナーってなんだ?”ってみんなわからないから、先生の授業にもぐり込んで、本当なら定員2、30人ぐらいのところに、5、60人集まっていました。大人気でした。そこで学んだ人たちの多くが、プロのトレーナーや大学の先生になって、活躍しています。

トレーナーの授業はまだあまり整備されていなかったのですが、元サッカー日本代表のチームドクターの先生のスポーツ医学の授業などがあったので受講していました。専門科目も想像していたものだったし、ゼミは運動器スポーツ医学ゼミでしたので、非常に面白かったですね。その傍ら、宗教学とか人間関係論とか受講していました。19、20の影響を受けやすい時期に専門外の授業も学べたのは、今になってですがすごくよかったと思っています。

僕は小学生のとき、運動がだめだったんですね。だから両親に薦められて、フルートを習い、栃木少年合唱団に入りまして、音楽三昧でした。スポーツ以外に興味を持ったのも、こういう背景があったからかもしれません。

あるご縁で、音楽療法の先生ともお仕事もさせていただいているので、たまたまリンクしてますね。トレーナーに限らないですけれど、仕事をしていくときに、幅広い思考はある程度必要だと思います。スポーツや身体のことしか学ばなかったら、たぶんいまのこの仕事には就いていないと思います。

──音楽療法ではどんなお仕事をしているんですか?

音楽のテンポが耳に与える刺激が、どのように運動に影響するか、効果を検討しています。高齢者や障害者を対象に、1分間に60回、ポン、ポン、ポンというリズムに合わせてステップを踏むんですね。そのあとに、今度はちょっと速く70ぐらいで行うんです。同じステップでちょっと難しくすると、バランス能力や歩行スピードが上がるという研究があるんです。

僕は理学療法士なので、平たく言えば、柔軟性をあげたり、筋トレして、バランス能力や動作を改善してもらうわけですが、音楽に合わせてステップをすることによっても、バランス能力や動作などが改善するんです。

リハビリって退屈というと言いすぎかもしれませんが、運動のための運動になっちゃって、モチベーションがあがらないケースもある。それなら楽器を演奏しながらとか音楽に合わせてとか、ヨガ、ピラティスで、と自分のやりたいことをやって、身体が良くなるとしたら最高ですね。

後編へつづく

写真・文 七戸 綾子