ありのままの自分を受け入れられるように

――ヨガを学んでから感じた変化はなんですか?

ある時「人を怖がらなくなったよね」と、言われたことがあります。ヨガを通して知り合った友人からの言葉です。そしてこれは、「私が私を怖がらなくなった」ということでもあると感じています。これが、私がヨガを学んでから感じた一番大きな変化です。

ヨガの智慧は、できるからいい・できないから悪い、善し悪し、成功・不成功というように、物事を相対的にとらえず、平等に見ることを説いています。できてもできなくても、私の本質は変わることはなく、これまでの経験の全てが、その善し悪しにかかわらず私を成長させてくれているのだということを、ヨガの智慧から学びました。

病気をするまでの私は、人から「すごい」と言われたいという気持ちが強く、できないことやわからないことがあるのは恥ずかしいと思っていました。できない自分は許せなかったし、できないと思われるのが怖かったのです。だからいつもすごく、肩をいからせて頑張っていました。

しかし病気をして、どんなによれよれの姿でも、友人たちは「いなくなったらやだなぁ」「死んじゃったらどうしようかと思った」と私を心配し、私を必要としてくれていたことを知りました。

そして、私が今ここに存在しているのは、そんなふうに私の無事を祈ってくれた人、私の命を助けてくれようと手を尽くしてくれた人、そして私に命を授けてくれた人がいるからであり、その人たちの思いによって、私はここに生かされていると知ることができ、人が怖くなくなったのだと思います。その気づきから、できない自分も情けなく感じる自分も許せるようになり、ありのままの自分を受け入れられるようになりました。

――寺ヨガや医療機関でのヨガクラスのほかに、タイヨガ施術の活動もされているんですね?

解剖学が苦手でぺアワークやアジャストが怖かった私が、どうしたら解剖学を学べ、人の身体に触れる恐れをなくし、ヨガを楽しめるかを考えた結果、「実際に人の体に触れる機会を多くすることで、手から人の身体を知りながら、解剖学を学んだらどうだろう?」と、ヨガティーチャーであり理学療法士でもあるヨーナス・ヴェステリング先生の指導するタイヨガにたどり着きました。

ヨーナス先生のトレーニング終了後、仲間と定期的に練習会を開き、練習会のコアメンバーで施術会を開催したのがタイヨガ☆パラダイスとしての始まりです。施術会の開催は、当時練習の場を提供してくださっていたタイヨガの先輩でもある、ヨガスタジオ主宰の方の計らいでした(タイヨガ☆パラダイスの名付け親でもあります)。

その後、原宿にあったスタジオをお借りして練習会を継続しながら、定期的に施術会を開くようになりました。現在の活動はイベントへの参加が主です。「タイヨガ☆キャラバン」と称した地方でのイベント開催や、ここ3年は春に代々木公園で開催されている「Spring Love 春風」というイベントへ出店し、施術の機会を設けています。また、練習会は浅草橋へと場所を移し、現在も継続しています。

誰も来なかったとしても、誰かがいる時と同じように、クラスの準備をしよう

タイヨガは「2人でおこなうヨガ」ともいわれ、タイ古式マッサージにヨガと生体力学の要素を加えた、深いエネルギー領域に働きかけることができるホリスティックなボディワークです。掌を通して、施術者と施術を受ける方のエネルギーがダイレクトに伝わりますので、技術も大切ですが、それ以上に施術者の心身が整っていることが求められます。

現在、私にとってヨガは、施術者としての心身の調和を保つためにも必要であると実感しています。


――ウェイクアップヨガを続けていらっしゃるんですね?

ティーチャー・トレーニングコース(TTC)を終えるとき、キミ先生が「技術は使わないと錆びる」とおっしゃっていたので、なんらかの形で指導を継続させていきたいなと考えました。エディトリアル・デザイナーの仕事と両立させるには、朝しか時間がとれなかったことから現在のレンタルスペースでの朝ヨガ開催を思いつきました。このお部屋は、TTCの課題であるマイクラス開催時に、レンタルを検討していたお部屋でした。TTCが終わってから3ヶ月後のことです。

現在は、火曜日(月に3〜4回)、朝7:15から60分のクラスを開催しています。参加してくださる方は主に近隣にお住いの方やお勤めの方で、女性の方が多く、7割くらいの方が初心者です。年齢は20代〜50代、人数は多い時で4〜5名、少ない時は1名で、結果的にプライベートクラスとなることもあります。クラス内容はyoggy yoga(yoggy in-Meditation)のクラスで、最終週のみ、ストレスマネージメントのためのヨーガ・セラピー(ヨーガ療法)のクラスをおこなっています。

朝一番に瞑想をすると、1日の時間の流れ方(使い方)が変わると実感しています。時間に振り回されずに1日を過ごすことができ、その日の充実感が違います。参加者の方には、新宿御苑前という場所柄、よい気が巡っているお部屋で気持ちよく60分を過ごしていただき、充実した1日を送るためのお手伝いができれば、という気持ちでクラスを開催しています。

実は参加者がいない日もあります。一応前日までに予約をいただく形にしています。事前に参加者の有無はわかりますので、お休みにすることもできるのですが、この朝ヨガを始める時、「誰も来なかったとしても、誰かがいる時と同じように、クラスの準備をしよう」と決めました。

そう決めたのと同じ時期、千利休と豊臣秀吉の雪の日のエピソードに出会いました。「秀吉は大雪の日になんの前触れもなく利休を訪ねて驚かせようとしたけれど、利休は大雪で誰も客人が来ないと思えるような日でも、普段通りに茶室を整え客人を迎える準備をしていた」という話です。

このエピソードを知った時、これがアヴィヤーサ(修習)とヴァイラーギャ(離欲)だと思いました。外界に起きること(大雪が降る、突然客人が訪ねてくるなど)に惑わされず、結果(客人が来る、来ない)にとらわれず、いつも自分のなすべきことを淡々となす、という、人として、茶人としての利休の在り方を見習おうと思いました。

仕事の都合でやむをえず休講にすることはありますが、基本的には誰かが来ても来なくても、前もってシークエンスを考え、お部屋に向かい、クラスの準備をするようにしています。そのような理由から、自分の(修行の)ためでもありますので、できる限り継続していきたいと考えています。

写真(清水麻紀子さん)・文 七戸 綾子