“違いがある”という共通点

七戸:本日は、アート・オブ・リビングマガジン映画『バベルの学校』上映会とゲストトークにお越しいただきまして、ありがとうございます。進行いたします、アート・オブ・リビングマガジン編集長の七戸です。
アート・オブ・リビングという言葉に込めているのは、その人それぞれの生き方があって、一人ひとりにとっての人生はアートなのではないか、という思いです。だからこそ、世の中は多様性に満ちているのではないかと思います。映画『バベルの学校』を見たときに、多様性を感じ、違う価値観のなかで共存していくことについて考えさせられ、今回このイベントをさせていただくことになりました。

ゲストのご紹介をいたします。小澤いぶきさんです。児童精神科医師で一般社団法人Pieces_(ピーシーズ)の共同創業者でいらっしゃいます。小澤さんは児童精神科の医師として12年ほど務めるなかで、一人ひとりの多様性が受け入れられる包括的な社会の文化醸成を目指して、どんな子どもも安心しできる、育ちと学びの場となる環境づくりをおこなってきました。小澤さん、どうぞよろしくお願いいたします。

いろんなお話を伺っていきたいのですが、まずは映画『バベルの学校』をご覧いただいた感想をお聞かせください。

小澤さん:私が観たのは少し前になるのですが、映画を観たときに「人生を変えたい」という言葉で表現された子どもたちの様々な背景や情勢を改めて考えさせられました。この映画は、そういういろんな背景によって感じた孤独や絶望、葛藤、そしてそれぞれの文化や背景の違いが、言語という表現を通して共有される中で、その子どもたちの力になっていくプロセスが描かれているのではないかと思います。その子ども達の力も、それを引き出す大人の力というのはとても大切でそして素敵なことだな、と感じました。

この様々な違いが、“違いがある”という共通点でもある、と思っています。私たちの日常には、すごくいろいろな違いがあふれていると思います。日本にいると、その違いに気づきづらいかもしれませんが。例えば違いや背景が力んいなっていくとき、それに対してその人自身が意味付けしていくことは大切なプロセスなのだと思うのですが、その違いや背景に意味付けせずにそれを引き出せる第三者の存在や、その違いを表現することで共有する中で、一人ではない、とか、認められたり注目される経験をする中で、もしかしたらその人の違いや背景が希望とか力になるきっかけになるのではないかということを感じました。

『バベルの学校』は、国とか文化のいろんな子どもたちが集まっていて、世界の縮図みたいな感じだと思うんですけど、私たちの日常にもやっぱりいろんな違いがあふれていて、私たちはたぶん誰でもマイノリティに属したことは実はあるんじゃないかと思うんですよね。それはたとえば背が小っちゃいとか、髪の毛がくせっけだとか、なんかちょっとした違いで最初はからかわれて、そのうち、ひとりぼっちな気持ちになる、そういうことがあったんじゃないかなと思うんです。

また、それとは別に誰にも関心をもってもらえない中での孤独感や、誰を信じてよいかわからなくなっていく感覚とか、そういった経験をしたことももしかしたらあるかもしれない。そういったときに、例えば、前者だと、そこがポジティブな注目になったり、違う視点から違いを捉える言葉があったり、後者だと、注目したり、関心をもたれたり、認められる経験があったり、そういった人との関わりの中で、違いや孤独感が希望に変わったりその背景を力になっていくきっかけになったりすることもあるのではないかと思いました。違いというのがありながらも、孤立せずに、それを生かし合う、それが一緒にある、そういったことを力にできていくための、誰かとの出会いが運だけでない形が必要だなと。

育ちや成長は、関係性や引き出し合いのなかで育まれる

七戸:学校を舞台にした映画でしたし、ふだん小澤さんがやっている活動にもすごくリンクするところがあるのではないですか。

小澤さん:そうですね。日本だと中々感じづらいし、見えづらいのですが、日本でも、明日のご飯がない、親がわからないとか、本当に様々な環境の中で生きてきた子どもたちや、それぞれの持っている特性の違いが、子どもたちのいた環境と適応しなかったことでしんどい思いをしている子どもたちが多くいます。子どもたちの自己肯定化のプロセスって国は違えど共通しているところはあり、それはすごくリンクするところがありました。

七戸:私が観たときの感想として、子どもたちの周囲の大人たちが、親だけではなくて、お兄さんだったりお姉さんだったり、親戚のおばさんだったり、その大人たちがものすごく真剣に子どもに向き合っていて、担任の先生もそうなんですけれど、こんなに人に向き合うことって今しているかな?とすごく思いました。大人の姿勢に感動したのを覚えています。すごいな、と。

小澤さん:そういう文化がつくられていくことが大事なんだろうなと思いました。子どもの育ちというところに、家族だけが育てる、とか、学校の先生だけが教えるという役割が過度に固定化されているのではない、いろんな人が関わるなかで子どもが成長していく文化。

七戸:いま小澤さん、“育ち”という言葉をお使いになったんですけど、ふだん聞き慣れないので、子育てではなくて、育ちという言葉を使うのには、どんな意味があるんですか?

小澤さん:子育てって、大人からの育てるという視点で、育ちは、子どもを中心にした視点で私は使っています。子どもを主語にして。

七戸:一方的に大人が育てるというものではなくて、そういう側面はあるけど、子どもが自分自身の力で成長していく、というような意味も込められているということですか?

小澤さん:そうですね。子どもたちはそもそも本来力をもっていて、それが、関わる人たちの双方の関係性とか引き出し合いのなかで育まれるのではないかと。どちらかの一方的なものではたぶんないな、という気持ちを込めて使っています。

経験や機会の格差をなくしていきたい

七戸:ふだん小澤さんがされている活動についてお話いただいてもよろしいですか?

小澤さん:私自身はもともとは、子どもの精神科の医者として臨床に関わってきたのですが、いま、ピーシーズというところでやっているのは、まさに、家族だけ、学校だけ、と、ひとつの組織や場所ではなくて、いろんな人が当たり前に子どもの育ちに関わることで、様々な環境があっても、それを乗り越えていく子どもの力を引き出せたり、今ある課題を予防できるような環境を作れたらいいなと思って、子どもの育ちに第三者、いろんな大人が関わる文化を作れたらいいなと思ってやっています。

七戸:ずっとお医者さんと並行しながらそういった活動を続けられてきたと思うんですが、そもそもその活動をされたきっかけはあるんですか?

小澤さん:今の子どもを取り巻く環境のなかで、日本に限らず、貧困とか虐待とか自殺とかいじめとか、いろんな課題があります。子どもの貧困などの格差が広っていくことの本質自体への取り組みも必要で、同時に、今ある様々なことが課題になっていく要因のひとつに、つながりの片寄りがあるんじゃないかなと思ったのがきっかけです。たとえば、貧困があったときに、情報が得られないとか、お金だけじゃなくて、機会とか経験の格差が生まれていくことで、自分の夢がかなえられなかったりとか。たぶん虐待も、社会の構造が問題で、だれがいけないとかではなくて、そこにほかの人が関われたりとか、親のひとりの時間が少しあったりとか、子どもとふたりきりの時間ではない時間があったりとか、そういうことが少しあれば変わるかもしれない。つながりがなかったりするなかで、なにかひとつをなんとかするのじゃなくて、根本的な経験や機会の格差をなくしていったり、そもそものいろんなつながりがあることで、そういったものが予防できたりとか、それをきっかけに子どもたちが困難を乗り越えていく力ができたり、というのを作っていけたらいいなと思っています。

七戸:お医者さんとしてふだん患者さんとは接することができるけれど、そうじゃなくて、病院に行かなくちゃいけないという状態になる前に、どこかできっかけを作っていけたら、ということですよね?

小澤さん:そうですね。そもそも、病院に来ることができる人って限られていて、医療という情報が得られたりとか、そこに来られるだけの前提があったり。逆に本当に必要な人に医療が届いていないというのもひとつですし、医療に来る前にできる予防的なことももっとあるなと。

もっと前にできることがある

七戸:精神科のお仕事とNPOでの活動がリンクしていると思うんですが、ほかのお医者さんからなにか言われたりとかはありますか? みなさんが小澤さんみたいに活動されたりしないと思うんですよね。専門のお医者さん以外に、そういう場づくりをされたりとか…。

小澤さん:臨床では、それは医者だけではなく学校や、子どもの塾とか、保育園にいたりしても感じると思うんですけれど、リアルの現場に接すれば接するほど、現場でおきていることをもっと構造的なものとして考えたり、、もっと予防的な視点に気づいたりする人も多くて、自分なりのそういう活動をしていたり、実際に独立している人は周りには多いです。そうじゃなくても、理解してくれて一緒に手伝ってくれたりとか、周りにはすごく今恵まれています。エンパワーされています。

七戸:一緒に活動されている方にはどんな方がいらっしゃるんですか。

小澤さん:助産師さんと、ソーシャルワーカーさんと、もともと学校とか塾とか教育に関わってきた人と、あとはずっとひとりでホームレスのサポートをやりながらもっと根本をたどって行政が入れないようなおうちに入って子どもとつながってきた人。

七戸:いろんなタイプの方がいらっしゃるんですね。
4月でお医者さんでのお勤めをやめて、ピーシーズの活動に専念されるとお伺いしていますが、それはどういったことからなんですか?

小澤さん:ずっと両立してやってきたのですが、限られた時間とスピードを考えて、というのがひとつと、予防的な視点を持ちながら、根本的なところに切り込みたい、子どもたちの未来が様々な格差や環境により決まらないような仕組みをつくっていきたいというのが大きくて。

七戸:そうなんですね。小澤さんのように理想とか、こうしたいな、という理念があって活動されている方ってすごいな、と思うんですが、そういう理想や理念があってもなかなか活動や行動に踏み切れない人って多いと思うんですけど、そういった方にアドバイスというかコツがありますか?

小澤さん:今の質問をひっくり返すようなんですけど、なにかを新しいことをやることだけが、大事なことではないんじゃないかと思っています。たとえば私だったら、医療のなかでそうやって一人ひとりと丁寧に関わっている先生たちがいるから、思い切って外に飛び出せたりとか。仕組みを創る人がいて、いろんな現場で関わっている人がいて、そしていろんな人がいて成り立っているので。そういう様々な場にいる人たちの変化で文化って創られていくものだと思うので。。たとえば一歩を踏み出さないというのも選択なんですよね。残るという選択。選択している以上何かを捨てているというか、何かを選んでいないので。踏み出すというのも選択だし、踏み出さないのも選択で、たぶんその選択の中にはいろんな環境をふまえた自分の意思決定があるはずで。自分の選択するプロセスの中での納得感や、選択した自分の力を信じることとか、そういったことも大事だなと思っています。

ただ、ほんとうにやりたいけど、すごくいろいろ考えすぎてできないことってあると思うんです。そこにはいくつかの壁があると思うのですが、例えば、方法がわからないとか、そこへの自身がないとか、スキルがないとか、その壁って実は身近なモデルや、壁をこえていった人と出会ったり、体験を積み重ねることで壁ではなくなっていく可能性があると思うんです。壁は自分が思っているより意外に低いこともあれば、壁の向こうには、自分が思っている以上に面白い世界があるかもしれない、そういった視点をもって、思い切って踏み出すことも大切かもなと。と、まだまだ何も成せていない私が言うのもとてもおこがましいですが。

もうひとつ、10年後の未来って全然わからないなと思うんですよね。今これをしていて生きていられるからって、未来にその仕事があるとは限らない。人工知能が担う役割も大きくなっていると思う。だから、これは例えばですが、物事の本質はなにかとか、本当に必要なものはなにか、今自分のスキルが届いていない場所はどこか、とか、考えることをやめないことはとても大切だと思います。

七戸:面白いな、と思いました。なにかやんないといけないみたいな強迫観念をみんな持っているような気がして。新しいことに限らず、なにか行動を起こしている人をみると、ちょっと私も!みたいな。勇気が出ると思うんですよね。それも一つだし、ということですよね。

小澤さん:どっちがいいとか、どっちが価値があるとかじゃないなと思いますよね。

七戸:小澤さん自身は、なにか思ったら恐れというか、心配はしないほうなんですか?

小澤さん:そうなんです。恐れとか心配の閾値が、、、ちょっと人と違うんじゃないかと。。。考えながら行動している時もあります。

七戸:まず動く、みたいな?

小澤さん:衝動が勝つみたいな。自分の特性だと思います、それは。もちろん、それだけじゃだめで、衝動制御は必要ですけれど。

イベントリポート後編へつづく。

写真 野頭 尚子/文 Art of living magazine 編集部