綾瀬はるか=長女の理由は

――四姉妹を演じた女優陣は、本当に姉妹のようにしか見えないほど自然で、素敵な組み合わせだと思いました。どのように配役はきまっていったのですか。
是枝 最初は綾瀬はるかさんからでした。

――長女・幸役ですね。綾瀬さんは妹系のかわいらしい役柄のイメージが強くて、長女役というのは今まで見たことがない気がするのですが、しっかり者で毅然とした雰囲気はぴったりでした。長女役で、と思った理由は?
是枝 今まで見たことがないから(笑)。ずいぶん前にお会いしたことがあって、素敵な人だなと思ったんですけど、テレビで見るのとはちょっと印象が違っていて。確かに天然は天然だけれど、芯があって、「太いな」と思ったんです。役者としてね。いろんな役ができる人だな、と。長女が決まってからは組み合わせで、次女の長澤まさみさん、三女の夏帆さんとぽんぽんと決まって行きました。四女はそこに化学変化を起こす人を、オーディションで選ぼうと。広瀬すずさんは、当時静岡に住んでいて。身体に合わない、大き目の中学校の制服を着て、猫背で……バスケットシューズを履いていて、ちょっと野暮ったかったんですよ(笑)。でもその感じがいいなと思った。それでお芝居してもらったら、非常によくて、もうこの子しかいないな、と思いました。

――すずは、サッカーがうまい女の子という設定ですが、広瀬さんのサッカーのうまさに驚きました。
是枝 物語の外側のことではあるけれど、大事な要素だったので、1年近くコーチをつけて練習してもらいました。筋がいいって言われていましたよ。1つのカットで30テイクくらい撮りましたね。シュートが決まって喜ぶ、というシーンでも「今のシュートは納得できないから喜べない」って本人が言うので、本当に喜べるシュートができるまで撮る。負けず嫌いなんです(笑)。

やりたい形でやり遂げられるか、常に戦いです

――是枝監督は以前、「僕が映画を撮ったりテレビに関わったりしているのは、多様な価値観を持った人たちが互いを尊重し合いながら共生していける、豊かで成熟した社会をつくりたいから」とおっしゃっていらっしゃいましたね。
是枝 ……まじめなこと言ってますね(笑)。

――価値観の違う人たちと共存する、というと大げさかもしれませんが、うまくやっていくには、どうしたらいいとお考えになりますか?
是枝 難しいなあ。僕もどうしたらいんだろうって、考えてますけどね。「同じほうが安心だよね」っていう流れには、どうしたってなりますよね。日本は「島国」ですから、自然とそうなっちゃうと思うんですよ。内と外を明快に分けてしまう。外側をどう取り込んで社会を作っていくか、という発想にはなかなかならない。まずは、それに自覚的になる、ということなんじゃないでしょうかね。

――風土的にも、そもそもそういった内と外を分けるような傾向になりやすいのだ、ということをそれぞれが意識する、ということですね。
是枝 はい。それと、僕は映画を作る人間であると同時に、「放送」というものに関わっている人間でもあって。そもそも放送というのは、同質性に閉じないために存在しているものだと思うんです。「外から見たらこうなんだよ」って見せてあげる役割もあるだろうし、社会の風通しをよくする存在でもある。でも今は、むしろ放送が同質性を強調する外壁みたいになってきている気もしています。それは本来的に違うよ、って言い続けるしかないと思っています。

――ご自身の作品を通して、多様性を示していきたい、という気持ちもおありですか?
是枝 作品自体に政治的なメッセージみたいなものは全くないですけどね。ただまあ、僕の映画作りも、多数派ではないですからね。明らかに僕はマイノリティだと思っています。どれだけやりたい形で、やり遂げられるか……常に戦いです。

――これだけ世界で高く評価されていらして、もうやりたいようにやれるのだと思っていましたが、未だに「戦い」だと思っていらっしゃるのですね。
是枝 外部との闘いもあれば、自分との闘いもありますからね。もし誰とも戦わずに自分の撮りたいものが撮れる状況を作れるようになったとしても、次もその通りにしようとすること自体がもう、自己模倣ですからね。今度は自分と戦って、自分を更新していかなければならない。監督って、すぐつまんなくなるから(笑)。おもしろいものが撮れなくなるのなんて簡単だし、映画自体撮らなくなるのも簡単なんですよ。無理しないと撮れないんです、映画なんて。撮り続けること自体がすごくエネルギーのいることだと思います。

厄介な人間が、映画監督をやる

――是枝監督のアート・オブ・リビング……魂を揺さぶられるような瞬間や心打たれるような経験をお聞かせいただけますか。
是枝 ……なんだろう……ないなあ、そういう出来事が。

――そうなんですね。映画監督というのは、日々たくさんのことに心打たれているのだろうと勝手に想像していました。
是枝 日々打たれていたら撮らないですよ、映画を。だって、そのままで日々が楽しいんだもん。「撮ることでわかる」っていう人間がいるんですよ。照明がたかれてスタッフがいて……っていう現場で、発見とか驚くような体験をすることがあって。そのためには、これだけ大掛かりなことが必要なんだな、と思いますね。そういう状況を自分で作らないと、幸せを感じられない。映画を撮り始めた頃には、自分が、幸せを感じたり感情表現をしたりするためには作品が必要な人間なんだということを、ある種のあきらめとともに自覚しました。そういう厄介な人間が、映画監督をやるんじゃないでしょうかね(笑)。

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写真(是枝監督) 野頭 尚子/文 門倉 紫麻