インドで カナダで 人との間で
空き地で 自分の中で アメリカで
屋久島で 病院で

今日も どこかで だれかが
自然とつながっている

自然にふれてなにかに気づいて
「はっ」としている
友だちに出会ったようにくつろいで
「ほっ」としている

ほんとうは

いつも どこでも だれでも
自然とつながっている

「かっ」としてしまう火のようなわたしもいれば、「さらっ」と流してくれる水のようなあなたもいて、「そよそよ」だったり「びゅうびゅう」だったり、風のように変わるあなたとわたしの関係もある

自然の力が 性質が 色が 脈が 法則が
わたしのなかにも息づいていると知るとき

インドに カナダに 人との間に
空き地に 自分の中に アメリカに
屋久島に 病院に

わたしの居場所がみつかる


インドで
牛や猿が鳴くなか、バナナの葉っぱに盛られた料理を手で食べる。食べ終わった後、バナナの葉っぱと食べ残しはそのまま牛や豚のえさになる。食べる自分も食べ物も、自然の一部だと思い出す。循環のなかにいると思い出す。食べ物も自分も動物も自然も、大切にしようと思い出す。

カナダで
生き物のように呼吸するように輝くオーロラを見ていると自分が無になれて、一瞬一瞬、常に変化していることを感じました。一秒も同じではない。オーロラも自分も。

人との間で
息子は自ら成長したんだ。私が育てたのではなく、たくさんの経験や人との関わりのなか、何か大きな力のなかで成長させてもらったんだ。

空き地で
好物のアーモンドが木になっているところをたまたま発見。こんなふうに実がなるんだとびっくりして以来、一粒一粒、大事にいただくようになりました。

自分の中で
車にはねられた瞬間、ちゃんと告白せなあかん、と思いました。フラッシュが光るように強くはっきり、直感としか言いようのないものでした。そのときは振られたけど、何年か経ってその人と結婚しました。

アメリカで
延々と続くコーンフィールドと山。
10時間車で走っても同じ景色。
小さいことはどうでもいいか!

屋久島で
何時間かかけて山に登り、縄文杉に会いに行った。感動する予定だったけど感動しなかった。ただ、ここにいるんだ、と思った。私が悩もうが何しようが、何千年もここにいるんだ、と思った。

病院で
咳が止まらず、入院したらすぐ楽になると思っていたのにまったく変わらず。安静にするしかない、時間をかけるしかない、ということでした。薬で症状を抑えたりすることはできるかもしれませんが、治すのは体自身。自分の体もまた自然の一部だと実感したとき、ゆっくり付き合っていこうと思いました。


起きる前のふとんの中で
台所で 駅のホームで 満員電車で
会社で 学校で スーパーマーケットで
ひだまりで 日陰で 空の下で 大地の上で
好きな人のとなりで
好きになりたい人のとなりで
カフェで 居酒屋で 食卓で リビングで
猫のいるソファで ヨガマットの上で
眠る前のふとんの中で

いま ここで
自然とつながる
つながっている

* * *

ことばをお聴きのみなさまへ

こんばんは。第五夜のキーワードは「自然とつながる」でした。「インドで」から「病院で」までのお話は、この連載のもとになっている「10+10」という本のために、すべてスタジオ・ヨギーのみなさんが寄せてくださったほんとうのエピソードです。みなさん、ありがとうございます。

私が最近、自然とのつながりを感じたのは、夏休みに体験した“はだし登山”。あたりまえですが、はだしで歩くと痛くって。はじめのうちはガイドさんのあとに続いて彼が足を置いたところに自分の足を置き、一歩一歩まねしていましたが、ちょっとした斜面に出たとき、まねできなくなりました。体重をかけると小石がざらざらと落ち、蟻地獄みたいに斜めに地面が流れていく。足の置きどころがないから、まねしようがない。

ふと冷静になり「自分で歩かなあかんわ」ということが、なんだか体でわかりました。ガイドさんは、体格のよいアメリカ人男性。いろいろな資格も持っていて、経験豊富です。私は、何もないところでもよく転ぶおっちょこちょい。歩幅も運動神経も全然違います。さて。どうしようか。おしゃべりをやめて、集中しました。足裏に。

すると、足裏からたくさん情報がくるんです。地質、斜度、片足を踏み込んで体を安定させるのに必要な面積……などなど。慣れてくると、山が話しかけてくるような気さえしました。ここに足を置きなよ。ここにつかまっていいよ。ちょっとここ広いから休んでいきなよ。と、なぜかすべての語尾はやさしく「よ」で。

そんなふうに山と自分の足裏で歯車をしっかり噛み合わせるように歩いていると、さらに、「こわい」という感情も情報に過ぎないという感じがしてきました。感情もただの感覚的な反応であって、気合いを入れて乗り越えなければいけない自分の弱さや人生の課題などではなく、危険を知らせ、安全に歩くための情報なんじゃないかと。私の中にも本能という自然のセンサーが備わっていることに「はっ」と小さく感動して、下山したときには疲れるどころか、元気になっていました。

それから何日後だったか、東京に帰ってきて家でヨガをしたとき。最後のシャヴァーサナ(仰向けのポーズ)で何か思い出したような? なに、この感覚? と思ったら、はだし登山のあとの、あの元気になった感覚と似ていました。マットを広げて、またあの山に行くこともできる。目を閉じて、わたしにかえることもできる。またすぐ山へ海へ行きたくなるだろうけど、東京で自然とつながるのもええやん、と思いました。

あなたが最近、自然(とのつながり)を感じたのはいつですか? よかったらわたしたちにも聴かせてください。おたよりお待ちしています。

* * *

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イラスト 内田 松里/文 古金谷 あゆみ