彼の写真から、とびきりかわいいコを見つけた。くりっとした黒い瞳のカモシカ。まるで「もののけ姫の聖獣」のようだねと彼に伝えると、「すごく怒ってたから、かわいく撮れたんだ」と笑う。その出会いは、まったく、突然だったと教えてくれる。

 ――陽が沈もうとする美しい時間を、お気に入りの場所で過ごそうとボクは歩いていた。そこは小高い崖のような地形で、森がきれいに見晴らせるとっておきの場所。崖にくぼみがあって腰が落ちつくボクのベストシートに、先客がいると気がついたのは、突然のこと。ここへは崖の反対側からまわりこんで行くルートしかなく、カモシカはボクに、ボクもカモシカに、近づくまで互いに気づけなかったのだ。
カモシカの逃げ道はボクが歩いてきた道で、まずいことに退路をボクがふさいでいた。そしてなにより、距離が近すぎたのだ。うわぁ、これはおそわれるかもな、と思ったボクは瞬時に地べたにふせた。相手は、モーレツな威嚇。興奮して荒ぶる鼻息や足でダンダン地面をけりあげ、全身で怒りを伝えてくる。そんなカモシカの目をみつめながら、ボクはカメラをとりだしシャッターをきっていた。その一枚なんだ――。


 カモシカはじつはシカの仲間ではなく、ウシやヤギの系統で、胃は4つ、瞳の形はヤギのように四角い。いつもはぼんやりイケズな目つきをしているカモシカが緊急事態でアドレナリンがドバドバでて瞳孔がひらききり、くりくりのお目目になったらしい。それにしても、カモシカにしたら危険を感じて怒りまくってるところを、目の前の生きものはパシャパシャ音をたてて(写真を撮り)、こわがっているようなうれしがっているような……。すこぶるヘンテコな生きものだと感じたに違いない。そして、撮影に満足した彼がずりずり茂みに身を隠した一瞬後、さっきのことは何もなかったようにカモシカの姿は消えていたそう。
 生命の強いたたずまい。あのときカモシカに生の感情をぶつけられ、体の奥で感じた得体の知れない喜び。その感覚はいまも忘れられないという彼。森の表情のひとつに触ったのだ。

写真 細川 剛  / 文 おおいしれいこ