晩秋の森はめっぽう明るいのだそう。紅葉していた樹々の葉が、すこしずつ枯れ落ちてしまうと、太陽光がたっぷりと降り注ぐようになるのだ。小春日和の森で落葉歩きをするのは心も体もウキウキするものだという彼の話をきいていると、まるで子どもにかえったような愉快な気分になる。
そんな彼がおくってくれた晩秋の美しい拾いもの・ニュースの一報が、この「うず巻き落葉」。

――カサコソ、サクサク。カサコソ、サクサク。
降り積もった落葉をわざとけちらしながら、乾いた葉音に耳をくすぐられながら歩く。ときどき落葉の吹きだまりみたいなところに足を踏み入れると、隠れた穴に足をとられ、腰までずっぽりはまっては、ひとり笑い。
足の底から感じる落葉のやわらかさや、ふくよかな香りを楽しみ、五感をひらき、めずらしい模様、きれいなカタチや色を自然とみつける。かわいらしい木の実やキノコもあれば、動物の屍だってある。驚き喜び、あるいは淡々と。自分のアンテナにひっかかる拾いものが楽しくって、カメラのシャッターをきる。

この日いちばんの拾いものが、何千という落葉が積み重なって描いた、「うず巻き落葉」の模様だ。
なぜこんなふうになったんだろう?と、しばらく見つめていた。みつけた場所は小さな沢。ふと、その葉っぱのうずの中心にある小さな水たまりで、クルクルまわっている落葉をみて、「水の流れ」の模様だと気がついた。いま沢を覆っているおびただしい数の落葉は、数日前の雨で沢が増水したときに流れついたものだろう。おそらく沢が徐々に水かさをへらすなかで、渦巻いて流れる水に動かされた葉っぱが一枚、また一枚と、ゆっくり運ばれたものだろう。

うず巻き落葉は、水と落葉がむつみあった時間のカタチ。ふしぎで複雑な営みが、目に見えぬところで繰りひろげられ、めぐっていて、それは自分がここで生きていることとも無関係ではないはず。小さなふしぎのサインからそんなことを、あれこれひも解いていると、森の仲間にすこしだけ近づけた気がしてくる。――

写真 細川 剛  / 文 おおいしれいこ