「冬山で10数メートル後ろを歩いている友人が飴を口に入れてなめてるなって、匂いでわかったことがあったんだ。しかも、その飴がチェルシーのヨーグルト味てことまでね(笑)」。
 あらゆる生き物の気配が凍りついた厳寒期の山や森では、驚くほど鼻がきくことあったりするし、空気や気配のわずかな変化に敏感にもなるんだと、教えてくれる彼。
 ツンツン氷のうぶ毛のような、白銀に輝く樹氷をまとった小枝。今回届いたこの氷景色にみちびいたのは、とらえどころない「静けさ」。アプローチはこんなふうだ。

――しっとりと、すこし重さを感じる気配が漂う夜だった。何だろう、このふしぎな雰囲気。テントから顔をだし、夜の闇をのぞきみて、全身の感覚でさぐる。昨晩と同じく気温は低いものの、いつもは絶えることなく聞こえている、遠くの尾根を越える風の音も、今夜はまったく聞こえてこない。ただ、いつもと違って、キーンと張りつめたような感じはなく、やさしく吸い込まれてしまいそうな静けさに満ちていた。そんな気配につつまれ、「立って半畳寝て一畳」の小さなテントのなかで、シュラフに潜り混んで眠りについた。
 翌朝、あのふしぎな夜気のワケを確かめたくって、すばやく身支度をととのえ、テントの外へ。すると、うっすらと冷たい霧に包まれた森のなかは、どこもかしこも繊細な霧氷に覆いつくされていた。そおっと顔を近づけてみてみれば、ごく小さな針が何本も連なって四方へのびている。風で成長して、一定方向に並ぶ樹氷のカタチとはあきらかに違ったもの。そうだ、きっとあのしっとりした夜気にふくまれた水の一つ一つが呼びあって育まれたカタチじゃないかな……。そんな想いがつらつら浮かび、「静けさ」のひみつを探るのだ――


 とらえどころのないふしぎ。その端緒をたぐるひとときが、私たちの身に宿る感度を磨いてくれるはず。

写真 細川 剛  / 文 おおいしれいこ