前回、左義長の火を見ていたら自分の中の動物的な部分がじんわり刺激されるような感覚に~という話を書きました(vol.2「火の祭りにおもうこと」)。それについて、ヴェーダセンターのニテャーナンダ・トウドウ先生から「炎を見たことで、松田さんの内側にある火の元素が活発になったからかもしれませんね」との興味深いレスポンスが。

火の元素とは、ヨーガやアーユルヴェーダで、私たちの心身をはじめ宇宙の万物を構成しているとされる五大元素(空、風、火、水、土)のひとつ。五つの元素はそれぞれに役割を持ち、例えば火の元素は、体内では主に消化と代謝をつかさどっている。また、体温の維持、知力、思考、視力なども火の元素の働きによるものだ。アーユルヴェーダの体質論でよく耳にするドーシャ(ヴェータ、ピッタ、カパ)は、この五つの元素を三つに大別したものと考えるとわかりやすい。

「燃えさかる炎は、火の元素の集合体。つまり目に見える形になったものです。それに触発されて、自分を構成している火の元素が増大し、汗が出たり、情熱や怒りがわいたりするなど、火の元素と関連する心身の作用が活発になることがある。そうした総合的な結果が、いわゆる本能が刺激されるような感覚を生み出したのかもしれませんね。ただ、火を見てすべての人が同じように感じるわけではなくて、火を苦手と思う人もいれば、他の四つの元素と関連するもの――大空、風、海の水、大地にふれた時に同じように感じる人もいます。

それからもうひとつ、真我(自己の奥深いところにある、何にも惑わされない本当の自分)が刺激されたという見方もできるでしょう。インドの古代占星学では、太陽は真我、月は精神(知性、自我、心)と関連していて、両者は意識や心に影響を与えるといわれています。月を見ると心が動き、太陽を見ると、心よりももっと内なるものが揺さぶられる。火は、この太陽のエネルギーが形を変えたものなので、火を見て自分の深い部分が揺さぶられたのかもしれません。さらにいうと、潜在意識に記憶されている火と関連した過去の経験が、目前の火によって思い起こされたということも考えられますね」

ところで火にまつわる儀式めいたことといえば、真言宗や天台宗のお寺で見られる護摩(ごま)が思い当たる。そして、その起源となっているのはインドに5,000年以上も前から伝わる儀式のひとつ「ホーマ」。マントラ(真言)を唱えながら、特別な木の枝や薬草、ごはん、貴金属、布、花、お菓子、ギーなどさまざまなお供えものを火の中にささげ、“神”の助けを得るという火の儀式だ。ちなみにここでいう神とは、簡単にいうと自然の力や超越的なパワーのことをさす。

「ホーマは現代のインドでも、無病息災や厄除け、カルマの鎮静、子宝祈願などさまざまな目的で行われています。仏教では主に煩悩を消すために火を用いますが、ホーマでの火の役割は、供物を灰にすること。灰にしたことで生まれる熱と煙(精妙なエネルギー)によって、神と同じ価値を持つマントラの力を儀式の依頼者に届けて、目的や願いが叶うよう作用するとされています」
日本の左義長も、正月飾りによって迎えた年神を、それらを燃すことで炎とともに見送るという意味があるのだそう。なるほど火っておもしろい。

写真&文 松田 可奈 写真提供(ホーマ) <a href="http://vedacenter.jp" target="_blank">ヴェーダセンター</a>