子どもを観察していると、本当に見飽きません。

自分で立って歩けるようになり公園デビューを果たした娘は、水を得た魚のように本能のままに動いて、目の前にある遊具を思いっきり楽しみます。ものすごい集中力で滑り台に没頭しているかと思えば、飽きると躊躇なくそれを手放して違う楽しみを見つけます。

自分に正直に、真っすぐに、みせかけやごまかしなく行動する姿は、大人にとってうらやましくもあり、その潔さに惚れ惚するほどです。

ヨガの経典の1つである「ヨガ・スートラ」という経典では、ヨガのゴールに至る過程を、8つの段階に分けて説明しています。その8段階のうち、最初に出てくるのがヤマ(禁戒、心の平和を得るための、自分以外のものとの関係における道徳的な5つの心得)なのですが、ヤマの中には「サティヤ(正直であること・嘘をつかないこと)」という心得があります。
サティヤは、言葉だけでなく、行動や考えにも誠実であることが求められます。

普段の生活の中で、言葉や行動だけでなく、自分の思いや考えに対して嘘をつかない、誠実であることは、なかなか難しいものだと思います。でも考えてみれば、自分の思いが形になったのが行動であり言葉なのですから、いかに心の状態を健やかにしておくかポイントで、そうすることで人間関係に調和を保つ言動が選択できるようになり、それが巡り巡って自分の心の平和さを保つことに繋がり、自分に正直に生きることに繋がるように感じます。

と自分で書いてはみたものの、仕事や家事や育児を行う上で、最初は穏やかな気持ちであっても、日々やってくるストレスに対して、そのまま平穏さを保つことは本当にチャレンジングなことだと思います。

私の場合は、自分の思うように仕事がはかどらない、朝の忙しい時間に限って娘がものを散らかす・・・などなど、そういう状況の時、「イライラするなぁ」とか「仕事も家事も育児も、誰かに任せて休みたい」と正直、思ってしまうこともあります。

正直な自分の声に耳を傾けて、イライラを子どもにぶつけたり、やるべきことを投げだしてしまえば、一時的には楽なのかもしれません。でも、そのあと、絶対に後悔すると思います。なぜなら、私の真実の心から離れてしまうからです。私は、子どもを傷つけたいわけでは無いし、仕事も家事も育児も楽しく続けたいと思っていますし、やりがいも感じています。

「サティヤ」は「正直」と訳されますが、「真実・真理」を意味する言葉でもあるそうです。真実に沿って生きること。それには、自分にとって本当に大切なことは何かを知り、ぶれないだけの強さも必要です。ヨガを練習することは、集中的に自分の身体や心と向き合うことになるので、身体的な鍛錬だけでなく心の鍛錬にも役立つと思います。

一方で、正直に生きるとは、ずっと我慢する、自分の思いにふたをして見て見ぬふりをするということでは無いとも感じています。イライラしたり、投げやりな気持ちになったり、落ち込んだりした時に「そういうこともあるよね」と自分の気持ちに寄り添い、素直になることは、自分の気持ちを浄化するために大切なことだと思います。そこを通過しないと、自分の真実に辿りつかないこともあるよう思います。

また、自分に正直になった結果、自分の思いを相手に伝えることになった場合、以下の4つのことを踏まえてお話しされることをお勧めします。

・これは真実に基づいているだろうか?
・今、これを話す必要があるだろうか?
・今、話すタイミングだろうか?
・この事を優しく伝える方法はあるだろうか?

これは「言葉の4つの門」と言って、ヨガのトレーニングを受けた時に先生から教えていただいたものです。この4つの門をくぐって伝える言葉は、自分にとっても相手にとっても、誠実で温かいメッセージとなるのではないでしょうか。それはヨガのゴールである「本来の自己(真我)と繋がること」への道しるべとなるのでしょう。

by ヨガインストラクター ユウ