1歳を過ぎて、自分で歩き始めたり、言葉が出てくるようになったりして、自己主張や表現が盛んになってくると、いわゆるイヤイヤ期に突入します。

わたしも一人目の育児のときに、本当に苦しかったのを思い出します。狭い家の中でふたりっきり。ここにおばあちゃんやおじいちゃん、誰か他の人がいたなら少し違っていたかもしれません。私にとって、子どものイヤイヤ期は、自分の都合と子どもの都合の折り合いのつけ方を探していくような体験になりました。

子どもにも、都合や予定があるんだと思うのです。
・自分で荷物を持ちたかった・・・持つ予定だった
・自分でお茶を入れられる・・・つもりだった
・自分が今一番楽しいことに、ママも賛同してくれる・・・はずだった
・自分が感じていることは、言葉じゃなくても伝わってる・・・ような気がしてた

でも、私にその余裕がなかった時、イヤイヤはヒートアップしていった気がします。そんな時は、私にも都合や予定があったのです。
・落としたら困るから、持ってあげてしまいたかった
・どうせこぼすだろうから、お茶は汲んでおいてあげよう
・遊びに夢中になっている間に家事をパパッと済ませてしまおう
(・・・ねぇ!・・・と呼んでいるけれど、「ちょっと待っててね~」で間をつなご
う・・・)
・イヤイヤイヤイヤって、一体何が不服なのよ~~~!!
(これじゃないの?あれじゃないの?だったら何なの!?イヤイヤだけじゃわからない~~!!)

ずっと一緒にやってきたんです。生まれてからずっと一緒に。寝る間を削っておっぱいあげて。眠い目こすりながら家事を始め、色んな経験させてあげようと毎日色んなところへ遊びに連れ出しました。お昼寝している隙に家事を超特急で片付けて、一息つく暇もなく、毎日いつ泣き出すかビクビクしながら、1年半ほど駆け抜けたんです。

「ねぇ、みて!」何度も何度も見たんです。その度に可愛らしい成長に一喜一憂したんです。でもだからこそ、「ねぇ、みて!」が大したことじゃないんだろうな・・・っていう予測もつくようになりました。そんな頃に、「ちょっと待って~!」と言っただけでグズリ始めるイヤイヤ期が始まったんです。

お肉を切り始めた瞬間に、魚を触っているその時に、「ねぇママ、見て!」と呼ばれて、急いで手を洗って見にいくと、私にとっては大したことではない・・・つみきが積みあがって喜々としている子どもに向かって、愛想笑いしか出来ない自分がいたんです。そのうち、呼ばれるたびにイライラし始めてる自分にも気づきました。

何だろう・・・なんだか苦しい・・・。誰か助けて・・・・・。
今、何が問題?今、何が一番大事?
いわゆるこれがイヤイヤ期だってことくらいは、知っていました。「魔の二歳児」っていう言葉があるのも知っています。それは、親にとって我慢や忍耐が必要な時期だと、なんとなく思っていました。・・・でもどうやら、私には我慢や忍耐力がないようです。苦しくて涙が出ちゃって、子どもじゃなく、自分がイヤイヤ期なのかもしれないって思うほどに心が荒れました。

何が大事??
お肉を切る時間?手を洗ってまで見にいかなくちゃいけないことじゃないでしょ?という子どもの理解?ゆっくり自分のペースで家事をすること?お手伝いさん?子どもの育ち・・・。笑顔・・・?

自分に必要なことと、それを可能にすることや手段は人それぞれに違うと思います。核家庭で育てている私にとって子どもを見ていてもらえる人はいなかったし、経済的にお手伝いさんを雇うこともあまり現実的に思えないし、どうしたらいいかわかりませんでした。でも、お肉切れなくても、お魚が料理に仕上がらなくても、お風呂に入れなくても、死にはしない。私は子どもが豊かに育っていくことが大事。他のどんな家事より、その育ちを大切にしようって思ったんです。

「ねぇ、みて!」に対して、100%で応えようと心に決めました。
「何々何々~~~!?」100%の笑顔で120%のわくわくを以って、子どもの今に寄り添いました。そう。いつも通り、たいしたことで呼ばれたわけではありませんよ。わかっています。でも、子どもの心が満たされていくのを感じます。嬉しそうに満足げに見てほしいものを紹介してきます。それに付き合うことによって、お料理の出来は悪いし、時にはおにぎりだけの夕飯だってありました。お風呂に入れずに寝てしまうことなんて気にしません。
全力で対応するって決めたから。

私たち大人って、「ここで甘やかしたら一生甘えん坊になる」とか、「このわがままを聞いてあげたらつけあがるんじゃないか?」とか葛藤しますよね。一度許したら二度三度。わがままな子に育ってしまうんじゃないか・・・。私は、わがままを聞いたのでもないし、甘やかしたわけでもないんです。毎日、彼女の心の水が豊かに溜まっていくのを見つめていました。

一週間も経たないうちに、彼女はこう言いました。
「ママ見て!あ、それ終わってからでいいよ~」
私には準備がありました。全力で「何々何々~~!?」って飛んでいく準備です。
でも、「それ終わってからでいいよ~」って彼女は私を気遣えるようになっていたんです。

お茶碗を洗いながら、ひとり震えながら泣きました。あぁ、育ちを保障された心は、豊かに周りを見れるんだなぁ・・・と感動しました。

「灰や煙が燃えている木と火を隠すように、心身の不純は求道者の魂を覆ってしまう。そよ風が灰と煙を取り除くと、木がもっと燃えるように、プラーナーヤーマの実践によって心が不順から解放され冥想する準備ができると、神性が求道者の心の中で輝くのである。」
――B.K.S.アイアンガー師

これは、プラーナーヤーマ(調気法)に対する文章の一節ですが、なんだかとっても好きなんです。灰や煙によって本質が見えていないとき、思い出すんです。そよ風に乗せて、余計なものを取り除こう。今、何が問題?何を見たいの?って。

「イヤイヤ期だから」
「どうせ大したことじゃないから」
「つけあがらせてはいけないから」
「みんな我慢してるから」

そんな情報だけに巻かれないで、目の前のことを大切に見つめてみてください。解決策は、すぐ目の前にあります。

イヤイヤ期とは、終わるのを待つ時間ではありません。大切なものが育っていく時間です。自分を表現し、命や育ちを保障してもらいながら、心が育っていく大切な時間。必要な時間。

さぁ、一緒に深呼吸しましょう。

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文 ヨガインストラクター ミヅホ/編集 七戸 綾子